形と実質

holst_bostock.jpg今までの仕事のスタンスの刷り込みのせいか、僕は「形」よりも「実質」を重視する傾向にある。とにかく経験を積むことが最重要課題で、見た目や技術的な側面は意外に軽視してきた。そんなお陰で自身をブランディングすることやプロデュースすることは極めて苦手で、我ながら「凄い力」を持っている(と思っている)にも関わらず、ほとんど表舞台に出ることなく縁の下の力持ち的に淡々と仕事をこなしてきた(それが悪いということではないが)。良い意味では「謙虚」というのだろうが、ここのところ「ポジティブ心理学」を学ぶにつれ、そしていわゆるテクニックを教授していただくに及び、プロとしてスキルもきちんと学習しておくことの大切さを今更ながらに実感している。

どんなことでも自分が一番大切で、経験する前から批判的な目で物事を見て、自分の中に取り込めない人がいるが、そういう人はいつまで経っても成長しない、とても損をする性格なんだということがよくわかる。その道のプロフェッショナル、そして第一線の現場で活躍している人の言葉はどれも重みがあり、聞いておく価値、教えていただく価値は十分にある。あとはその言葉が軽くならないように、たとえ後付けであろうと体感することが重要なのだろう。

芸術の世界でもれっきと「形式」はある。理解し難い前衛芸術においてもルールは存在する。どの世界でも時代の先をゆく人々は相応の基礎を修得した上で、枠をはみ出すような「モノ」を生み出してきた。そしてそこにまた新しいルールが生まれるのだ。19世紀の最後の年、後に「十二音技法」という新しい方法を世に問うアーノルト・シェーンベルクは稀代の大管弦楽作品「グレの歌」を書き始める。後期ロマン派メソッドの頂点たらんとする巨大な編成と長大な時間を要するこの音楽は、まさに19世紀芸術に集大成的役割を負って生まれ出たようなものだと思うが、なかなか勉強不足で、今の時点でおいそれと書く気にはなれない。この作品についてはじっくりと勉強した上でいずれまたあらためて採り上げることにしようと思う。

そんなわけで、今日は今月の「早わかりクラシック音楽講座」のテーマであるグスターヴ・ホルストの作品、それも彼がまだ20代の頃の、初期の秀作といわれる音楽を聴く。前述のシェーンベルクが「グレの歌」と格闘していたちょうど同じ頃にホルストが創出したのはひとつの交響曲であった。

ホルスト:
交響曲ヘ長調作品8「コッツウォルズ」
ウォルト・ホイットマン序曲作品7
ハンプシャー組曲作品28-2(ゴードン・ジェイコブ編曲)
バレエ音楽~「どこまでも馬鹿な男」作品39
スケルツォ~未完の交響曲
ダグラス・ボストック指揮ミュンヘン交響楽団

交響曲の第2楽章は、「ウィリアム・モリスの思い出」にという表題付のアダージョ楽章であり、かのイギリスの美しい丘陵地帯を彷彿とさせてくれる感傷的な音楽だ。そういえば、15年ほど前イギリスに旅行した折、コッツウォルズ地方にも足を運んだが、人と自然とが一体化した姿を目の当たりにし、今でも忘れられないくらい感動したことを思い出した。田舎の山奥育ちの僕にしてみれば田園風景など当たり前の光景なのだが、いわゆるスケールが違うのである。

こじんまりとした、そしてきちんとした形式の中に若きグスターブの「想い」がしっかりと注ぎ込まれている、そんな印象の名曲だと僕は感じた。だいぶ前のブログ記事でホルストを「一発屋」と揶揄したが、少々反省している・・・。


2 COMMENTS

雅之

おはようございます。
コッツウォルズ地方へ足を運ばれた御経験、羨ましい限りです。
ご紹介のCDは、私も持っていますが、交響曲「コッツウォルズ」が聴けて貴重ですよね。ブラームスを想わせる響きもあり、私も大好きな曲です。ウィリアム・モリスの思い出の他、ボーア戦争やズールー戦争の戦死者への追悼の気持ちも、ホルストがコッツウォルズの大自然へ癒しを求め作曲する契機になったようですね。第一次世界大戦の戦死者への挽歌でもある、レイフ・ヴォーン・ウィリアムズの田園交響曲(交響曲第3番、こちらも大好きな曲)の先駆になった曲ともいえるのではないでしょうか。
クラシック音楽では、大自然にインスピレーションを得た名曲が実に多いですよね。ベートーヴェンの「田園」交響曲、ブラームスの第2交響曲、ブルックナーやシベリウスの諸交響曲、ドヴォルザークの第8交響曲、ドビュッシーの「海」・・・・、少し思い起こしても枚挙に遑がないくらいです。絵画もそうですが、音楽は自然との結び付きが密接です。
交響曲「コッツウォルズ」の初演から10年、シェーンベルク稀代の大管弦楽作品「グレの歌」完成の翌年、初演の前年にあたる1912年、日本では誰もが知っている文部省唱歌「春の小川」が発表されました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%A5%E3%81%AE%E5%B0%8F%E5%B7%9D
http://www.youtube.com/watch?v=oseU2hBhzh4&feature=related
いろいろ調べますと、この歌の「春の小川」とは、今では下水道になっていて立ち入り禁止地区の一部にもなっている、東京都、渋谷にある、渋谷川であるというのが、最も有力な説のようですね。ちょっと信じられません。
子供が気軽に遊び親しめる身の回りの自然は、今や皆無に等しくなりました。嘆かわしいことです。「国破れて山河あり」といいますが、日本は国破れて戦後の経済発展の代償になり、後世に誇れる山河までなくなっちゃいました。
国を愛し、後世に誇れる日本になって欲しいと思うがゆえに、心から国の現状を憂います。自分の成功と幸せだけを願い、そんなこと屁とも思わぬ人が国民の大多数でしょうが・・・。

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
>ボーア戦争やズールー戦争の戦死者への追悼の気持ちも、ホルストがコッツウォルズの大自然へ癒しを求め作曲する契機になったようですね。
へぇ、それは知りませんでした。勉強になります。
>絵画もそうですが、音楽は自然との結び付きが密接です。
ですね。芸術のインスピレーションはやはり宇宙や自然から来るものなのだと思います。
えー、「春の小川」って渋谷川のことなんですか!!
初めて知りました。今じゃセンター街ですからね・・・。
信じられません。
>国を愛し、後世に誇れる日本になって欲しいと思うがゆえに、心から国の現状を憂います。
同感です。

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