フォーレの「ラシーヌ讃歌」を聴いて思ふ

faure_quantique_de_jean_racine_alldis雪による浄化。澄んだ空気、輝く太陽。素敵な一日。
縁あって、たかまきやすし&東京ベルズの稽古を見学させていただいた。音楽は神々しい。特に、創造する側の厳しさと他を思いやる力のすごさを垣間見た。人と人とをつなぐ原点がここにはある。機械には作れない、人間だからこその強さも弱さも含んだ「ありのまま」。芸術の源がここにある。

音楽を創る上で、特に歌唱の場合に重要なのは母音だということを知った。慈しみの音である「母音」に感情がこもる。「あ、え、い、お、う」。
なるほど、「ヴォカリーズ」が人々の心をことさらに揺さぶる要因、理由はそこにある。あるいは、音楽に限らず母音を重視する日本語が心の琴線に触れる「言霊」を持つのは、そういう理由によるのかも。
そしてもうひとつ。重心を下に置き、軸を安定させ、個々の音を磨くことの大切さ。と同時に他の声部をきちんと聴き分ける余裕。音楽が創られていく場に立ち会うことは実に面白く、発見も多い。

ガブリエル・フォーレの音楽を。真に美しい・・・。

フォーレ:
・ラシーヌ讃歌作品11
・小ミサ
・見よ、忠実な僕を
・マドリガル作品35
・金の涙作品72
・小川作品22
・タントゥム・エルゴ作品55
・タントゥム・エルゴ作品65-2
・タントゥム・エルゴ(1904)
・アヴェ・ヴェルム・コルプス作品65-1
フランソワ=アンリ・ウバール(オルガン)
ミシェル・トランシャン(ピアノ)
ファブリス・ピエール(ハープ)
ジョン・オールディス指揮グループ・ヴォカール・ド・フランス(1983.5.9-11録音)

近現代の位置にあってフォーレの音楽は保守的でもあり、革新的でもある。前後のあらゆるイディオムが見事に消化吸収され、「フォーレ」というジャンルができ上がるかのようだ。後年、完全に聴覚を失った作曲家の、真に心の耳での創造物が神々しくないわけがない。
どの作品も静謐で夢見るよう。
僕は30余年前の録音であるこの音盤を長らく愛聴する。いつ聴いても心洗われる。
そう、まるで雪のような透明感。それでいて温かい。

いと高きところの御言葉。
われらの唯一の希望、
天と地とのとこしえなる日。
われらは静かな夜のしじまを破る。
崇高なる神よ、その聖なる眼差しをわれらに向けたまえ。
汝の力強き恩寵の炎をわれらが上に降り注ぎたまえ。
すべての苦難が汝の声の響きを前に消え去らんことを!
~「ラシーヌ讃歌」(原明美訳)

 


人気ブログランキングに参加しています。クリックのご協力よろしくお願いします。
にほんブログ村 クラシックブログ クラシック音楽鑑賞へ
にほんブログ村


コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む