あばたもえくぼ

elgar_1_boult.jpg人間というもの、どんな関係においても「お互いに補完し合っている」という共通意識が大事だ。それは、自分の強みと弱みを知ること、そして相手の強みと弱みを把握、理解するところから始まる。

本来ひとりひとりはつながっているが、生まれ育った環境も経験も皆違うゆえ「習慣」や「概念」がぶつかり合うことが多々ある。特に夫婦関係においては一つ屋根の下で赤の他人が共に暮らすのだということを肝に銘じて、ない部分を補完し、助け合うという考え方がとても重要になる。

最近は、日本でも離婚が多いと聞く。それぞれは特段問題なく「良い人」なのだが、マッチングが悪いお陰で物事が立ち行かなくなる。話をじっくり聴いてみると、だいたいが相手のせいにする。責任のなすりつけ合いというか、決して自分の非を認めないケースが多い。そこがコミュニケーションの難しさといえば難しさなのだろうが、できるだけの努力はし、結果的にどうしても無理ならなるべく早めに離れて、本当に受け入れ合える相手を見つけた方が互いにとってベストだろうとつくづく僕は思う。

ただし、「補完し合う」という共通意識は、「相手を真に想う」ところから発するものだから、裏を返せば他人のことを想えない人が多くなっているということを忘れちゃいけない。何だか自分のことばかりを考えて悩んでいる人たちが多過ぎる。そして、そういう人たちはご多分にもれず「不安」だらけなのだ。勇気を持って人に気持ちを向ければ楽になり、これほど楽しいことはないのに・・・。

ところで、「早わかりクラシック音楽講座」は今月で第37回を迎える。2月に採り上げる予定だったホルストの組曲「惑星」がテーマだが、その周辺をおさらいするという意味でエルガーのシンフォニーを朝から聴いた。プレヴィン&ロイヤル・フィルの第1交響曲と行進曲「威風堂々」を収めた音盤である。繰り返し聴くうちに、そういえば巨匠ボールト卿はどんな解釈だったっけと気になり、久しぶりにかのCDを取り出した。

エルガー:
交響曲第1番変イ長調作品66
弦楽セレナーデホ短調作品20
夜の歌作品15‐1
朝の歌作品15‐2
サー・エードリアン・ボールト指揮ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

最晩年のマエストロが録音した第1交響曲のアダージョ楽章を聴き給え。初演者のハンス・リヒターがベートーヴェンの緩徐楽章に匹敵すると語ったこの楽章はことのほか感動的である(交響曲に限ってはやっぱりベートーヴェンが規範になる。ベートーヴェン後の作曲家は誰しも大変な思いをしたのだろう)。人生のほぼ最期の時期に涙なくして聴けない純粋な音楽には、優しさと切なさと、あらゆる感情が包含される。

そう、喜怒哀楽すべての感情を受け容れられるようになったとき、人はお互いを認めて共生できるようになるのではないか。「あばたもえくぼ」というが、それくらい相手の短所も長所として受け入れられる寛容さって重要だ。

※エルガー若き日の「弦楽セレナーデ」も素晴らしい。ここには妻を労わる優しさと愛、そして感謝が溢れている。


2 COMMENTS

雅之

おはようございます。
私の考えでは、夫婦とは、男女の仲プラス親友であることが理想です。
そして、何よりも波長が合うことが大切です。波長さえ合えば、「習慣」や「概念」がどんなにぶつかり合っても、お互い悩みがあっても乗り越えることは充分可能ですが、波長が合わないカップルは所詮どんなに努力しても無駄、別れたほうがいいです。仕事でストレスを抱え、家でもストレスを抱えでは病気になってしまいます。そんな努力などしないほうがマシです。
しかし、夫婦でも家族でもそうですが、何も四六時中波長が合う必要はないです。息が詰まるので適度に距離を置くことも重要です。お互い別な拍子を刻んで演奏していればよく、何小節かに1回、肝心なところで必ずリズムが重なり合えば、それで充分なのです。
いい人間関係のコツとは、「ポリリズム」をお互い上手く演奏できることだと思います。
http://classic.opus-3.net/blog/cat49/post-363/#comments
ご紹介の盤などボールトのイギリスものは、古き良きイギリスの気分に浸れて最高ですよね。
私がエルガーにハマるきっかけになったのは、もうずいぶん前に読んだレコ芸での吉田秀和さんの連載にあった、次の一節からでした。
・・・・・・ドイツ人のあまり評価しなかったのは、エルガーがブラームス、メンデルスゾーンから、後年にはリヒャルト・シュトラウスといったドイツ音楽の流れから、かなり強度の影響のあるのをみていたからで、要するにエルガーは、彼らからみると、亜流の臭(にお)いが強すぎるというわけだったのだろう。
しかし、このごろになって、エルガーを聴いてみると、たとえドイツ音楽の影を濃くひいているにしても、それは、私たちにとっては第一級の重要時とも思われない。むしろ、ブラームスの協奏曲が好きで折にふれ、よくきいてはきたが、そのほかのショパンやチャイコフスキー、ラフマニノフというスラヴ系統の音楽ではなくて、もう少し、ブラームスに近くて、しかも、少しちがうものをきいてみたいと考える時、エルガーの音楽は、とても亜流とはいえない、コクのあるものとして、きかれるのである。
それにまた今月のように、たまたま、二組の協奏曲のレコードが出て、相ついできいてみると、けっこう、私はそれによって、たっぷりした音楽をきいた満足感を味わわせられる。
エルガーの音楽で、私が楽しむのは、どんな点か? もちろん、ブラームスの亜流といったら失礼だが、とにかく、この音楽にはしっかりとした職人としての腕と芸はあるから、がっちりした音の厚み、音楽としての充実感が味わえるという点が、根本にあるという前提に立って、その上でエルガーの場合、特に私の強く感じるのは、二点ある。・・・・・・「この一枚」新潮文庫より『パールマン/バレンボイム/シカゴ交響楽団 エルガー/ヴァイオリン協奏曲』(P289~290)から 
まだまだエルガーへの愛に満ちた名文が続くのですが・・・。お読みになられたこと、ありますよよね?

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
>男女の仲プラス親友であること
>何よりも波長が合うことが大切です
>適度に距離を置くことも重要です
どれも的確なご意見ですね。さすがに結婚歴ん十年(でしたっけ?)の経験の賜物ですね。ありがとうございます。しかも「ポリリズム」になぞらえておられるところがまた粋です。
吉田秀和氏のエルガーの文章、よく覚えております。こういうのを読むとその音楽をどうしても聴きたくなりますよね。

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