人生何事も共同作業なり

elgar_light_of_life_groves.jpg実行の是非のタイミング、スイッチってどこにあるのだろう?例えば僕の場合、最も苦労するのは「集客」である。お客様が集まるか否か、もちろん主催する側の意思に左右されるのは当然なのだが、上手くいかないときの中止の判断をどのように下すかにいつも迷いが生じてしまう。社会貢献という観点から考えれば、どれだけ人数が少なくても実行に移すべきなのだが、ビジネスということを念頭に置くと、決して損をすることがないように事前に手を打っておかないと長続きしなくなる。なかなか難しい問題だ。

他者に依頼し、委ねることは大切だ。何でも自分でやってしまおう、何でもできると考えることは重要なことだが、他人の力を導入することで成果が2倍にも3倍にもなり得ることを考えると、単なる「器用貧乏」ということにならないようにせねば。とはいえ、逆に何でもやってもらおうという依存的な姿勢は成果につながらないばかりか最終的に人間関係を悪くしてしまう。

人は自身が思い描く目標に関しては、どんな立場であれ自ら手足を動かすことが重要だということがよくわかる。明らかに成果のあがるスピードと質が違うのだ。当然そこからは「充実感」も生まれてくる。何事も抱え込んでひとりでやろうとするのは良くないが、組織の中でひとりひとりが協力し合いながらベストを尽くす、そういう態度がチームを育てるのである。

人間にとって環境は重要である。どこにいるかで輝きもするし腐りもする。誰と仕事をするのか、誰と生涯を共にするのか、その選択に関しては決して間違えないようにシビアに見れる目と直感のアンテナを立てるように心掛けた方が良い。

エルガー:オラトリオ「生命の光」作品29
マーガレット・マーシャル(ソプラノ、盲目の男の母)
ヘレン・ワッツ(コントラルト、ナレーター)
ロビン・レッゲート(テノール、盲目の男)
ジョン・シャーリー=カーク(バリトン、イエス)
リヴァプール・フィルハーモニー合唱団
サー・チャールズ・グローヴズ指揮ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団

10年ほど前だったか、イギリスに旅行に訪れた際にロンドンのHMVで手に入れた”British Composers Series”からの1枚。エルガーはよくブラームスになぞらえられるが、決定的に違うのは、ブラームスに比べ圧倒的に「開放型」であることだと僕は思う。女性に対する姿勢なども文献から判断するに明らかだし、何よりその楽曲を聴くだけで、内面に向かうブラームスに対してエルガーは外に意識が向く。1896年に生み出されたこの「生命の光」についても然り。エルガーらしい崇高さと美しさをあわせもつ傑作だ。

エルガーは1889年、音楽教室の生徒だった8歳年上のキャロライン・アリスと結婚するが、彼の創作活動についてはこの妻の存在なくして語ることはできない。1920年の妻アリスの急死後、彼の創作意欲は一気に衰え、作品が激減する。そして友人に宛てて手紙で次のように告白する。
「私の成し遂げたことは、妻によるところが大きい」と。


2 COMMENTS

雅之

おはようございます。
エルガーの「生命の光」他、初期のオラトリオなど声楽作品は、私は語れるほど聴き込んではおりません(いろいろ教えてください)。エルガー以外の作曲家でもそうですが、こうしたオラトリオ作品とじっくり付き合うには人生の持ち時間も限られており、目の覚めるような実演体験がどうしても欲しいです。でもこの曲、CDで音だけをBGM的に聴いても、確かにロマン派的な部分も感じ、とても魅力的です。
ハレ管弦楽団の現音楽監督マーク・エルダーは、エルガーをめぐる研究者や演奏家たちのエッセーを集めた”Elgar,An Anniversary Portrait”(Continuum)の中で、「エルガーはイギリスのマーラーだ」と言っているそうですね。「エルガーが人生で経験した不安や緊張を知るほどに、私の理解は深まった」「エルガーの性格は極めて複雑であり、とりわけその神経症=neurosis=的な側面への理解がなくては正しく指揮することはできない、エルガーの音楽には自信と不安が入り混じる複雑な内面が表象されている」などと・・・。エルガーのキャラクターや女性関係などから、演奏の難しさについても語っているようです(参考 「レコード芸術 2007年11月号 176ページ エルガー生誕150年特集 藤野竣介氏の記事」)。
私もマーク・エルダーの言葉には同感です。交響曲でも、第1番より第2番のほうが、一筋縄では行かない気分変化の推移が伝わり、深いです。
ヴァイオリン協奏曲では、妻キャロライン・アリスではなくもうひとりのアリス、五歳歳下のアリス・スチュアート=ワートリーとの関係が問題になってきます。また、ヴァイオリン奏者を目指し断念したコンプレックスが、この曲を長く、また技巧的にとても難しく書いた理由の深層心理であるような気がします(この辺の屈折した心境、少しでも楽器を演奏した経験のある人であれば、よく理解できるんじゃないかと思います)。
とにかく誰でもそうですが、人間は複雑な生き物です。作品ごとの気分の多面性も、私をエルガー作品と末永く付き合っていけそうな気持ちにさせています。そして文献からの情報では、人間的にもブラームスよりずっと共感できそうです。名探偵シャーロック・ホームズより3歳年下、小説家アーサー・コナン・ドイルより2歳年上としてのエルガーと、その時代のイギリスにも、興味がありますし・・・。
マーラーの交響曲第10番との比較の意味で前にもご紹介しましたが私のおススメ盤を・・・。
交響曲第3番(ペイン補筆完成版)、ほか 尾高忠明&札幌交響楽団
http://www.hmv.co.jp/product/detail/2700395
エルガーのスペシャリスト尾高忠明氏と札響によるこの曲の演奏、実演でも聴きましたが、札幌の名ホール Kitara での彼らの演奏、北欧的な響きが最高です。日本の全オケのCDの中でも、個人的には最上位に評価しています。行進曲『威風堂々』第6番(ペイン補筆完成版) もいい曲ですよ。
そして、同じ曲の組合せで、ヒコックス&BBCウェールズ・ナショナル管弦楽団による本場の超名盤SACDを・・・。
http://www.hmv.co.jp/product/detail/2636171
指揮者ヒコックスはこの演奏・録音翌年の2008年11月、60歳の若さで亡くなってしまいました。彼のイギリス作品を指揮した音盤には大好きなものがたくさんあっただけに、非常に残念です。

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
僕も聴き込みはまだまだです。エルガーという作曲家は聴けば聴くほど奥が深いなと感じております。
>目の覚めるような実演体験がどうしても欲しいです。
今年の10月には大友直人&東響によって日本初演されるようです。興味深いです。
http://www.tokyosymphony.com/concerts/20101030geijutsu.html
>「エルガーはイギリスのマーラーだ」と言っているそうですね。
なるほど、確かにそんな感じもしますね。
ヴァイオリン協奏曲についての雅之さんのご意見も同感です。
交響曲第3番のおススメ盤、聴いてみたいですね。
ヒコックスについては、おっしゃるとおりシャンドスにイギリスものをたくさん録音していますがどれも名演ですね。僕もそれほど聴いているわけではありませんが、好きな指揮者です。

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