勤勉さというのは、融通の利かなさにつながる。真面目な人ほど一直線であり、その意味では扱いが難しい。すべての事象は表裏。
あなたの少しばかりの努力で当然ずっと楽しくなれる折が、不愉快なものに変わっていき、私があなたの無愛想さに悩んでいるのを見れば、子どもたちが憤慨するのももっともなことです。・・・(中略)・・・愛するヨハネス、私たちの間柄が、ふたたび楽しいものになるか、本当に越えがたい垣根をめぐらしてしまうかは(そうなれば私は悲嘆にくれるでしょう)、まったくあなたのお心持ちひとつにかかっているのよ。
(1868年10月15日付、クララよりブラームス宛手紙)
~B・リッツマン編・原田光子編訳「クララ・シューマン/ヨハネス・ブラームス友情の書簡」(みすず書房)P184
「母の絆」を欠いていたブラームスは、特に若い頃、感情の起伏も激しく、いわばコミュニケーション上のゲームを頻繁にやっていたことがクララのこの手紙から伺うことができる。要は天邪鬼なのだ。それでいて鬱積はひどく、どちらかというと内側に籠る人だったがゆえ、周りは彼の真意をはかるのに随分苦労したことだろう。
それでも、ひとたびピアノに向かった時、あるいは五線紙を前にした時のこの人は態度が一変し、天才的なインスピレーションの奔流に任せ、音楽が自然と湧き上がった。
1859年に作曲が始められ、1861年10月20日にヨーゼフ・ヨアヒムらによって初演された変ロ長調の弦楽六重奏曲は、どの瞬間を切り取っても青春の甘い想念に溢れる一方、自身の思いの丈を真正面から伝達できないという内在する無情をいかにも表出しており、ブラームスという人間を体現する初期の傑作のひとつだと僕は思う。
この六重奏曲は、早速ピアノ4手用にも編曲されており、その版は原曲より前に1861年5月7日、ブラームスの誕生日の日にクララとヨハネスによって初演された。
また、第2楽章のピアノ独奏版も「主題と変奏」と題し、1869年2月20日にウィーンで公開初演された。
やはりクララなくしてブラームスの諸作は存在し得ない。音楽を聴く限り、ヨハネス・ブラームスのクララへの愛に満ちた逸品だ。彼は、音楽を通してしか自分の本心を伝えられなかったようだ。
ブラームス:
・主題と変奏ニ短調~弦楽六重奏曲第1番変ロ長調作品18
・グルックの歌劇「アウリスのイフィゲニア」~ガヴォットイ長調
・サラバンドと2つのガヴォット
・ジーグイ短調
・サラバンドロ短調
・ジーグロ短調
・ピアノ小品
・カノン
・カノン(反転)
・ラコッツィ行進曲
・サラバンドイ短調WoO5(遺作)
・フランツ・シューベルトによる即興曲作品90-2(左手のための練習曲)
・フランツ・シューベルトによるレントラー
・ロベルト・シューマンによるピアノ五重奏曲作品44~スケルツォ
イディル・ビレット(ピアノ)(1993録音)
1868年のグルックの「ガヴォット」の、愛らしくも優しいメロディに癒される。サラバンドやジーグや、バロック時代の様式を借りた作品たちも、いかにもブラームス風の重厚な音響に仕立てられており、浪漫溢れる響きに涙を覚える。
「カノン」には、メンデルスゾーンのピアノ三重奏曲第1番終楽章が木霊する。何よりシューベルトの即興曲の、左手用にアレンジされた音楽にひれ伏す思い。低音部による厚ぼったい、いかにもブラームスという編曲が晩年のシューベルトの透明で崇高な響きを一層哀しいものにする。
そして、恩師ロベルト・シューマンのピアノ五重奏曲スケルツォのピアノ・アレンジも秀逸。
イディル・ビレットのピアノは、ブラームスの真面目さを表現するのに相応しい厳粛で正確なもの。美しい。
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