グールドのヒンデミット ピアノ・ソナタ全集(1966-73録音)ほかを聴いて思ふ

戦争は静かに始まった。まるで、雲の向こう側のできごとのようだ。1914年のような過激なスローガンも、ひらめく旗も、示威行進も、歓呼と花で送られる軍の行進もみられず、ベルリンの通りに人影はなかった。
木村靖二/柴宜弘/長沼秀世著「世界大戦と現代文化の開幕」(中央公論社)P450

第二次世界大戦が始まったときの、ドイツのあるジャーナリストはベルリンの様子についてこのように書いたといわれる。誰もが予想しない中で、しかもその結末を想像すらできない中で、恐ろしいかな、事は起こっていったのである。

不穏な時代であるがゆえの限られた安寧。
不協和かまびすしい現代の革新的音楽であっても、音楽そのものは協調という言葉が似合う。そのインスピレーションの起因のもとが死であり、祈りであるならばなおさら。
死してようやく人々はひとつになれるのかもしれぬ。
大戦前夜、英国のジョージ5世の死を悼み、パウル・ヒンデミットは早くもその翌日に「葬送音楽」を書き上げた。この、作曲者のいわば右腕となる楽器を主にした9分ほどの音楽の、何と悲しい響きでありながら、何と勇気と癒しを喚起する音調であることか。

ラクリメ
・ヒンデミット:葬送音楽(1936)
・ブリテン:ラクリメ作品48a(ジョン・ダウランドの歌曲から考えたこと)(1976)
・ペンデレツキ:ヴィオラと室内オーケストラのための協奏曲(1983)
キム・カシュカシャン(ヴィオラ)
デニス・ラッセル・デイヴィス指揮シュトゥットガルト室内管弦楽団(1992.12録音)

キム・カシュカシャンのヴィオラが泣く。
暗黒色の闇から降り注ぐ一条の光はまさに安心の象徴。
ヒンデミットはジョージ5世の死を借りながら、迫り来るヨーロッパ世界の終末を予知し、その崩壊を悼み、(そんなことにならないよう願って)こんなに嘆息洩れる作品を生み出したのかもしれない。それほどにすべてが美しく、そして哀しい。

同じ年、パウル・ヒンデミットは3つのピアノ・ソナタを作曲している。
初めのソナタは、冒頭から虚無的な、沈思黙考の歌に溢れる。ここでのグールドの演奏は、一つ一つの音を丁寧に鳴らすもので、聴く者の魂を優しく鎮めてくれる。
また、2番目のソナタは、ごつごつした岩のような頑強さを持ち、旋律は常に明瞭で、音楽は律動的だ。それでいて、ヒンデミットらしい大道芸的喧しさのないところが嬉しい。なるほど、第1ソナタはいわば死の表象であり、第2ソナタはいわば生の謳歌の顕現であるまいか。

ヒンデミット:
・ピアノ・ソナタ第1番イ調「マイン川」(1936)(1966.10.13録音)
・ピアノ・ソナタ第2番ト調(1936)(1966.12.29 &1967.1.9-10録音)
・ピアノ・ソナタ第3番変ロ調(1936)(1973.2.18録音)
グレン・グールド(ピアノ)

グールドが言うように、第3ソナタの終楽章フーガにおける、バッハの精神を規範としながらあくまで自身の色を失わない緊張感の素晴らしさ(何だかショスタコーヴィチが自らの真似をし、弾けるよう)。

ヒンデミットの作品において、たしかにエクスタシーは一つの売り物で、フーガのクライマックスで生みだされることがもっとも多い。このアルバムでは、「ピアノ・ソナタ」第3番の終楽章がおそらくそのもっとも顕著な例であろう。「ピアノ・ソナタ」第1番の「葬送行進曲」のはじめと終りの部分のように、ときにその緩徐楽章も同様の緊迫状態に達する。
ティム・ペイジ編/野水瑞穂訳「グレン・グールド著作集1―バッハからブーレーズへ」P228

ちなみに、ベンジャミン・ブリテンが死の年に弦楽オーケストラ用にアレンジした「ラクリメ」は、それこそ自身への鎮魂曲のような様相を絶えず示す。ここでもカシュカシャンのヴィオラが悲痛な叫びをあげるものの、内なる魂は至極希望に満ちている。生と死は一体なのだ。

ぼくの希望は死んでも、まことの心は死なぬ
ぼくの滅びの噂を耳にする人々よ、絶望するがいい
~ジョン・ダウランド「リュート歌曲全集」から「もし僕の嘆きが」

さらには、クシシュトフ・ペンデレツキの協奏曲に感じられる暗澹たる響きは、文字通り「嘆き」の歌。何という息苦しさ。カシュカシャンのヴィオラにたぎるエクスタシーの抑圧とその解放は、実に激しくまた重い。

 

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