志を同じくする者

人生を歩む上で同志の存在は不可欠である。
例えばビジネスにおける盟友。あるいはプライベートにおけるパートナー。人というもの、感性や思考回路が異なっているのは当たり前なのだが、内に秘める志が同じでないといずれその関係は破綻を来す。そう、逆に言うと根っこのところでつながっていれば、表向きの動きが違っていても結果的に大きくずれるということはない。

志というものが、自分がこの世に生を受けた理由、あるいは使命から派生するものだとするなら、それを確認するには自分自身を深く見つめることと他人との関係性をきちんと観ることであろう。特に異性との関係、それは恋人にせよ夫婦にせよ、人生を共にする相手であるならそのあたりの事前確認は必須。それと、視界の広さ。それこそ物事を点でしかとらえられない人は了見も狭く、基本的に人の話を聴いていないということが多い。よって、当然人間関係に問題を抱えることになる。目に見えるもの、見えないもの、あらゆる事象を面で捉え、受け容れるだけの素養を練磨すること。それは、とにかく勝手な自己概念で判断をくださず、何でも体験してみて、そして認めるところから始まる。

人生においてこれが正しいという決まった法則などない。どんな生き方だってそれが自分らしくあるならそれで良し。そしてそれが志、信念に基づいての行動であるならなお良し。

20世紀初頭のウィーンで、新ウィーン楽派と後に名づけられた志を同じくする大作曲家たちが世間をあっと驚かせる方法で新しい音楽を次々と生み出した。その頂点にいるのがアルノルト・シェーンベルク。「グレの歌」で管弦楽法を最大限に駆使し、大宇宙の鳴動を表現した彼が、次の一手に選んだのが十二音技法を使った、いわゆる無調の世界。その手法を受け継いだ弟子たちの作品と共に録音された内田光子の隠れた(?)名盤。

シェーンベルク:ピアノ協奏曲作品42
ヴェーベルン:変奏曲作品27
シェーンベルク:3つのピアノ小品作品11&6つのピアノ小品作品19
ベルク:ピアノ・ソナタ作品1
内田光子(ピアノ)
ピエール・ブーレーズ指揮クリーヴランド管弦楽団

この曖昧さが若い頃は気持ち悪かったのが、実にこの中にすべてが含まれていると知った時、疑問が氷解し、逆にとても好きな音楽たちとして一段も二段も格上げされた。境界のない世界。光と闇が混在する不可思議な世界。それでいて内田の奏でるピアノの一音一音は極めて明晰で、輪郭が明快。
シェーンベルクらの音楽を聴きながらふと考えたこと。
世間の評価に惑わされず、自身の内なる声に従ってやるべきことをきちんと全うすること・・・。

それにしても・・・、嗚呼、眠い。無調音楽はその曖昧さによって人を心地良い眠りにも誘う(笑)。
本日も長い一日だった。おやすみ・・・。


2 COMMENTS

雅之

こんばんは。

無調は、長調や短調に比べて、より自然に近いということになりますよね。
鳥の囀りも、動物の鳴き声、虫の音にも、小川のせせらぎ、風のざわめき、荒波の音にも調性はありませんからね。しかし、突き詰めれば、無調が拠り所にしている12音や平均律音程だって、人間が作った枠組み、言わば法律みたいなものです。

平等や人権や民主化を追求した果てに、国民は束縛から開放され自由を獲得したが、今度は国家というシステム自体が形骸化し民の道徳心は希薄になり、治安は乱れ、ついには国家は崩壊に至る・・・・、そこに絵に書いたような人類のユートピアを本当に建設できるのか?・・・ってなことを、新ウィーン楽派を聴くと考えさせられます。

そこで、またいつかのハイドンを話題にした時の、「限定がなければ自由もない」という言葉が脳裏をよぎるのです・・・。

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岡本 浩和

>雅之様
こんばんは。
人類というのは限りなく矛盾を抱えていますよね。
真実はひとつなのですが、ついつい目先に惑わされてしまいます。

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