フェリアーのグルック、ヘンデル、バッハ、そしてペルゴレージを聴いて思ふ

ferrier_gluck_handel_bach「母性」について考えた。何人(なんびと)をも無条件で受け容れることのできる包容力って一体何なのだろう?無意識に「区別」をしたり、「差別」する自分が在る。人は不完全な存在ゆえすべてを無条件にというのは不可能なのだが、少なくともすべてが「つながっているもの」なんだという実感を持ちたいもの。兄弟姉妹を表す「同胞」は「はらから」と発音される。やっぱり皆が同じく母の「腹から」生まれたというのが語源なのだろうか・・・。

カスリーン・フェリアーの歌を聴いて胸がかきむしられるような感情を覚えた。心底からこみ上げる、言葉で表現不可能な感覚・・・。

例えば、古の音楽をあまりに浪漫的な表現で糊塗するにもかかわらず、明らかに慟哭の「真実」を見るペルゴレージの「スターバト・マーテル(悲しみの聖母)」。これほど「母性」に富む声があるのか・・・、そんなことを一聴思った。

・グルック:歌劇「オルフェオとエウリディーチェ」~「エウリディーチェを失って」(1946.2.26録音)
・ヘンデル:歌劇「ロデリンダ」~「汝が芸術を汚したのか」(1946.2.26録音)
・J.S.バッハ:「マタイ受難曲」~「憐れみたまえ、わが神よ」(1946.2.6録音)
・ヘンデル:歌劇「セルセ」~「なつかしい木蔭(オンブラ・マイ・フ)」(1948.10.7録音)
・メンデルスゾーン:オラトリオ「エリヤ」~「主を見捨てる者たちに禍あれ」(1946.9.2録音)
・メンデルスゾーン:オラトリオ「エリヤ」~「おお、主の御前に心しずめ」(1946.9.2録音)
・ペルゴレージ:スターバト・マーテル(スコット編曲)(1946.5.8&28録音)
キャスリーン・フェリアー(コントラルト)
サー・マルコム・サージェント指揮ロンドン交響楽団
サー・マルコム・サージェント指揮ナショナル交響楽団
ボイド・ニール指揮ボイド・ニール管弦楽団
ジョーン・テイラー(ソプラノ)
ノッティンガム・オリアナ合唱団
ロイ・ヘンダーソン指揮ボイド・ニール弦楽合奏団

どうかキリストの死を私に負わせ、
どうかその受難を共にさせ、
そしてその傷に思いを馳せさせてください。

どうかその傷を私に負わせてください
どうか私に十字架を深く味わわせてください
そして御子の血を。

アルトのアリアの何という清らかさ・・・。「悲しみ」などどこにもない、敢然たる勇気のもと歌われる名品。

憐れみたまえ、わが神よ、
滴り落つるわが涙のゆえに。
此を見たまえ、心も眼も
御身の前にはげしくもだえ泣く
我を憐れみたまえ、憐れみたまえ。

「マタイ受難曲」からの「憐れみたまえ、わが神よ」の、何と崇高な歌唱。いかにも人間的なフェリアーの祈りの深さ!!!

こんな木陰は 今まで決してなかった。
緑の木陰
親しく、そして愛らしい、
よりやさしい木陰は。

「オンブラ・マイ・フ」は、いかにも遅いテンポで、重過ぎるほどだ。しかし、これほどに自然を想う歌唱はなかなかない。

エウリディーチェなしに、どうしたらよいのだ!
愛しいおまえなしで、どこへ行けばいいのか?
エウリディーチェ、エウリディーチェ!
あぁ、応えておくれ!
私はただお前だけに忠実だったのに。

英語で歌われる「エウリディーチェを失って」についても、感情の込められ方が普通でない。フェリアーの声に在る不気味さが一層強調され悲しみを増長させる。

外は久しぶりに激しい雨・・・。

 


人気ブログランキングに参加しています。クリックのご協力よろしくお願いします。
にほんブログ村 クラシックブログ クラシック音楽鑑賞へ
にほんブログ村

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む