古くからの作法も、浪漫情緒も、思いのまま。
真に・・・。帯のこの言葉がすべて。
ヨーゼフ・ラインベルガーの音楽にどうしてこうも心動かされるのか、癒されるのかが少しわかったように思う。そもそも音楽というものが時間と空間の芸術であるということ。音は拡散され、時間とともに消えゆく。すなわちどこまでも極大永遠であり、どこまでも極小永遠なのである。それこそ「色即是空、空即是色」の権化。
特に、合唱曲の、まるで争いというものを知らない、静けさに満ち満ちた世界。これこそ「ひとつ」だということを体現する傑作揃いであることが繰り返し作品を聴くことで確信が深まる。
イェンス・マルコフスキーの解説には以下のようにある。
ラインベルガーの作風には、ルネサンス初期における厳格な多声書法もさることながら、バロック風の対位法や、ウィーン古典派流儀の形式感覚、初期ロマン派風の語り口・・・、と、過去の様々な時点における音楽語法とのつながりをかんじさせてやみません。
歴史を遡ってのあらゆるイディオムを駆使しての、そんなことはひょっとすると本人は無意識だろうけれど、まるでDNAに刻み込まれているかの如く彼の音楽が自然に湧き上がっているような感じ。興味深い。そこには「普遍」がある。時間も空間もひとつであることの象徴。
ラインベルガーは敬虔なキリスト教徒だったらしいが、その音楽を聴く限りにおいて、スピリチュアリティとリアリティのバランスに優れている(ように僕は思う)。信仰と科学、あるいは社会性というか、そういうものがいずれにも偏っていない人だったんだろうと想像できる。実際、彼の弟子にはそうそうたるメンバー。フンパーディンク、ヴォルフ=フェラーリなど。短い期間ながらフルトヴェングラーも。名教師なんだ・・・。
例えば、「ミサ・ブレヴィス」は当然教会音楽なんだけれど、人間的な響きに溢れる。聖なる音を持ちながら、とても甘い香りがするとでもいおうか。逆に、連作合唱曲「森の花さまざま」は世俗音楽だけれど、教会、信仰を感じさせる音に溢れる(そもそも詩に教会の鐘が出てくるのだが)。
まさに「温故知新」。過去も未来もない、あるのは現在のみ、ということだ。時間という概念を超えて、ラインベルガーの音楽は在る。
以前、岡本さんは「作曲された当時はものすごく人気があった作品では
なかったのか」と書いていらっしゃいましたが、実際、ラインベルガーは
生前にかなりの成功を納めていたそうです。
ルートヴィヒ2世にも気に入られていたのだとか。
ラインベルガーって音の重なり方がたまらないですね。
合唱曲でもオルガン曲でも残響がしっかりある場所で、陽を浴びるように
降り注ぐ音に身を委ねながら聴いたら…きっと最高でしょう。
>みどり様
>ルートヴィヒ2世にも気に入られていたのだとか。
そうらしいですね。
そう考えると狂王なんていわれてますがルートヴィヒ2世の審美眼というのは大変なものだったということですね。
それにしてもワーグナーもラインベルガーも両方OKというのはすごいと思います。当然オンタイムですし・・・。
>合唱曲でもオルガン曲でも残響がしっかりある場所で、陽を浴びるように降り注ぐ音に身を委ねながら聴いたら
同感です。