粋なガーシュウィン・アルバム

The_Glory_Of_Garshwin.jpg4月から晴香葉子先生のポジティブ心理学カウンセラー・講師養成コースに通っているのだが・・・。
これまでカウンセリング・スキルについて具体的に習ったことがなかったので、目から鱗、学ぶことがとても多い。カウンセリングの手法として大事なポイントは、「聴くこと」、「質問力」、そして「話術」ということだが、どれもまだまだ磨きがいのあるスキルだということがよくわかって面白い。僕は長年人前で話すことを生業にしてきたが、決して話術に長けているわけではない。一方、聴く力は人一倍高いように思う。

それに「質問力」ということについてもそれほどじっくりと考えたことがなかった。質問の仕方によってクライアントの脳が活性するか否かが決まるという。限定された質問ではなく、いかに開かれた質問、つまり「いつ、どこで、誰が、どうやって、なぜ」を具体的に答えてもらえるような質問をできるかどうかが鍵になるようだ。

そういえば、いつも「ワークショップZERO」では参加者にひとつひとつの実習が終了する度に必ず「感じたこと、考えたこと」を発表していただく場を設けている。どんな話でもいいのである。とにかく「あなたが思ったことを率直に語ってください」とお願いする。そうしていつも時間を経るごとにその内容が深化し、濃い話になることを考えると、なるほど「思考や感情」について少しずつ具体的に発言するようにしてもらうことで、結果的に「自己開示」につながっているものなんだということに今更ながら気がついた。これもある種「開かれた質問」ということなのだろう。

しかし、このことは「質問力」とは観点が少しずれているかもしれない。いずれにせよ、広い意味で、クライアントに「感じたこと、考えたこと」を具体的に披露してもらう機会をもつことは重要なことが確認できたのでとてもよかった。

先日からクラシック以外の音楽をいくつか聴いてきて思うのだが、音楽を聴くことにおいても「聴く力」がとても大事なんじゃないかということをふと考えた。ここでいう「聴く力」とは、もちろん専門的に音楽のことを知っているという「知識」のことだけをいうのではない。「耳の良さ」はもちろんのこと、様々なジャンルの、色々な種類の音楽を享受するだけの幅というか器の広さをもっていること、そういう「聴く力」、「感性」のことをいうのである。

とにかく、まだまだ未知の音楽はたくさんある。生涯ですべての音楽を聴けるということはありえないが、先日のポゴレリッチのリサイタル以来、よりたくさんのことに興味を持ち、あらゆる種類の音楽をどんどん聴いてみたいとますます思うようになった。世界は広く、深い・・・。

ということで、今日は珍しいガーシュウィン・アルバムを。
これまた様々なロック・アーティストたちがハーモニカの名手ラリー・アドラーをフューチャー(アドラーの80歳を祝って制作された)し、何とジョージ・マーティンがプロデュースした知る人ぞ知る傑作アルバムなのである。

The Glory Of Gershwin feat. Larry Adler

Peter Gabrielが歌う”Summer Time”、Kate Bushによる”The Man I Love”、Elvis Costelloによる”But Not For Me”など最高に楽しい音楽が目白押しなのだが、何といっても傑作はLarry AdlerとGeorge Martinによる”Rhapsody In Blue”!!!アドラーのハーモニカは楽器というよりもう「人の声」そのものである。まるでカメレオンのような七変化の音色。素晴らしい。生きていて良かった・・・。


2 COMMENTS

雅之

おはようございます。
>様々なロック・アーティストたちがハーモニカの名手ラリー・アドラーをフューチャー(アドラーの80歳を祝って制作された)し、何とジョージ・マーティンがプロデュースした知る人ぞ知る傑作アルバム
このところ、毎日のように未聴盤が続きます(笑)。でも、とても勉強になっています。感謝です。
>素晴らしい。生きていて良かった・・・。
とおっしゃるくらいなら、ぜひ聴いてみたいです。
今、ちょっと吉松隆先生のホームページにハマっています。音楽や映画についてなど、示唆に富む文章が目白押しです。「クラシック音楽の新しいレパートリーを考える」と題したエッセイなどもそうです。
http://yoshim.cocolog-nifty.com/office/2010/01/post-d298.html
・・・・・・1970年代にポスト・ビートルズ世代による新しいロック(例えば「プログレッシヴ・ロック」など)が開花したのも、本来ならクラシック音楽界に進むはずの「音楽(作曲)の才能のある青年」たちが、ロック界に流れ込んだのが原因の一端にあるような気がする。
 日本でも、戦後のこの時期までは(まだ〈クラシック音楽界〉というのがステータスになり得たので)「クラシック界で主たる活動をしつつ、映画など二次的な音楽活動もする」…というスタンスの作曲家が多かったが、この時代を境に、はっきり映画なら映画テレビならテレビとジャンルを特化したプロの作曲家が増え始める。
 結果、それに続く多くの才能ある「作曲家の卵たち」がクラシック音楽を捨て、商業音楽の世界に続々と流出し始める。
 なにしろ、同じ電子音やテープ・コラージュを作るのだって、現代音楽界よりロックやポップス界の方が(世界的ヒットを期待できる分)遙かに高価な機材を駆使できるし、「斬新で」「ポップで」「大衆的で」なにより経済的・社会的・芸術的すべての面において「成功」することが可能なのだ。
 そして、豊饒な響きのオーケストラが書きたければ、クラシック音楽界より映画音楽界の方が100倍も1000倍も自由に才能を開花できる。とっておきのメロディが書ければ経済的にも大きな報酬に繋がる。
 また、ロックやジャズや民族音楽などとのコラボレーションも、CMやゲーム音楽の中では自由であり、冒険どころか奨励してくれる。現代音楽界などより遙かに大きい「音楽的な新しい試み」が可能なのだ。
 なにしろ、そこにはちゃんとした「音楽への需要」があり、経済的にも機能するため、機材にしろスタジオにしろ演奏家にしろ最高のものが結集する。その結果、努力と優劣に応じた報酬が保証される。
 そこでは、自分勝手さを「芸術」と言い張るような逃げや甘えは通用しない。こちらの方が本当の「プロ」の世界と言うべきだろう。・・・・・・
吉松先生が言う、こうした音楽の歴史の変遷、前から私も理屈では理解していましたし、プログレなどもある程度は聴き知ってはいましたが、急に脳内回路が繋がって、こうした音楽を聴いて快感曲線をピークに持っていけるようになったのは、岡本さんのブログに毎日のようにコメントを書かせていただきながら、民族音楽からJポップに至るまで、様々な音楽を「どのジャンルも同じ目線の高さ(ここが極めて大切!)」で楽しむようになったからだと思っています。それがすなわち「聴く力」の養成になっているのでしょう。
吉松先生、5月10日付最新のエッセイでも、時々我々が議論している内容をうんと深めた、いいことを書いておられますよ。
「演奏する作曲家 vs 作曲する指揮者」
http://yoshim.cocolog-nifty.com/office/2010/05/post-4f7e.html

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岡本 浩和

>雅之様
こんにちは。
アドラーのハーモニカはほんとに良いですよ。ぜひ一度聴いてみてください。
吉松先生のホームページは面白いですよね。僕も毎日チェックしているわけではないですが、たまに拝見させてもらっています。
それに昔NHK-FMで毎週金曜日の朝だったかに担当されていた番組(ニュー・ヨーロピアン・ストリングスによるゴルトベルクのアリアがテーマ音楽でした)が好きで、よく聴いてました。ご自身もロックなどの影響をもろに受けられた作曲家ですから、知識の幅が広くてとても勉強になります。
ご紹介の記事もごもっともですよね。とても共感できます。

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