アルフレッド・コルトーのマスタークラス(1954-60Live)を聴いて思ふ

「教えること」とは「共に在ること」だ。
「教えること」とはやって見せ、その背中を見せることだ。

瑕だらけの、本人が後に公表されるだろうとは思ってもなかったであろう演奏の瑞々しさ。最晩年のアルフレッド・コルトーの音楽は相変わらず浪漫色豊かで、断片ながら僕たちをすっかり魅了する。
自身が創設したエコール・ノルマル音楽院でのマスター・クラス。
彼が生徒に弾いて見せる、バッハのパルティータ第1番第1曲プレリーディウム冒頭の音や、悲しみを湛えた音色で訥々と語りかけられる第2曲アルマンドを耳にするだけで、何とも老練な、円やかで朗々とした音調に見事に引き込まれてしまうのだ。時空を超えて唯一無二のコルトーの芸術が蘇る。

モーツァルトの幻想曲K.475は、「ドン・ジョヴァンニ」が主題だとコルトーは語る。あそこには運命的な呪いがあると彼は言う。この曲が、果たしてそれほど重いものかどうなのかはわからない。しかし、コルトーが再生して見せる音楽には、フルトヴェングラーの「ドン・ジョヴァンニ」同様の魔性が確かに感じとれる。コルトーのテンポの揺れは、マレイ・ペライアが指摘するように、内的な感情のロジックに従ったもので、それによってパルスの流動性と強烈な個性が自ずと保証されたということを僕たちは忘れてはなるまい。
ソナタK.331も美しい。しかし、それより何より、ベートーヴェンの「告別」や作品101、あるいは作品109に垣間見える奔放な精神こそ、アルフレッド・コルトーでなければ為すことのできなかった最高の形の現出。

作品109の何という奥ゆかしさ。
「苦しみと言う要素は全くない。あるのは優しさ、善良さ、エネルギー」
コルトーはかく語る。まるで天使たちが昇天するかのごとくの落ち着いた、そして神々しいその音楽は、断片的とはいえコルトーの神髄。第3楽章アンダンテ・モルト・カンタービレ・エド・エスプレッシーヴォの、さりげない「何もなさ」が最高に美しい。

コルトーのマスター・クラスより
・J.S.バッハ:パルティータ第1番変ロ長調BWV825
・モーツァルト:幻想曲ハ短調K.475
・モーツァルト:ピアノ・ソナタ第11番イ長調K.331
・モーツァルト:ピアノ・ソナタ第8番イ短調K.310
・ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第26番変ホ長調作品81a「告別」
・ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第27番ホ短調作品90
・ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第28番イ長調作品101
・ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第30番ホ長調作品109
・ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第31番変イ長調作品110
アルフレッド・コルトー(ピアノ)(1954-60Live)

作品110第1楽章モデラート・カンタービレ・モルト・エスプレッシーヴォの決して表面的に陥らない憂愁。何とコルトーはこの曲が「ベートーヴェンが死んだ子供の枕もとで書いた作品だ」と言う。そんなはずはなかろうが、情感こもる深い愛の結晶が煌く音楽に思わず涙がこぼれる。また、(ロンドン響パーカッション・アンサンブルのコンサートで披露されたジョン・アダムズの「ロール・オーヴァー・ベートーヴェン」に引用されていた)(断片ながら)第2楽章アレグロ・モルトに感じられる、第九交響曲のスケルツォにも似た熱狂。
終楽章アダージョ・マ・ノン・トロッポに関し、コルトーは次のように物語る。

ここにあるのは落胆、意気消沈・・・この世の悲惨さのすべてがある。これを彼は死んだ子供の母親のために即興で弾いた。彼はその子が大好きで、死んだ後にその子の家に行ったが一言も話すことができず、ピアノに向かった。子供は彼の弟子で、彼はこのアリオーソの冒頭を即興で弾いた。それだけだった。彼は後でそれを思い出してふくらませ、楽章の前半部分で母親の子供に対する優しさと彼女の魅力を表現し・・・愛想のよさまで表現した。
(訳:渡辺正)
~SICC226-8解説書P37

実に興味深い創作!

移り気そのもののあの月が、窓ごしに、揺籃の中で眠っているお前の姿に眼をとめて、そうしてこう云ったのだった。「私にはこの子が気に入った。」
そうして彼女はしずしずと雲の階段を下りてきて、音もなく硝子戸を抜けたのだった。それから彼女は、母親らしい優しさで、お前の上に身を投げかけ、お前の顔を彼女の色で染めたのだった。それから後、お前の瞳は緑になり、お前の頬は世の常ならず蒼ざめた。その訪問者を見つめたので、お前の目はそんなに法外に大きくなり、そしてまた彼女があんなに優しくお前の咽喉を抱きしめたので、それからお前は永久に涙を流したいと願うようになったのだ。
そしてその時、月は歓喜に満ち溢れて、燐光を放つ空気のように、発光する毒のように、残る隈なく部屋中を照らしたのだった。
「月の恩恵」
ボードレール/三好達治訳「巴里の憂鬱」(新潮文庫)P139

なるほど、月の子とは。明日は満月だ。

 

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