眠りにつくとき

早朝からピーター・ガブリエルの新譜を聴いていて、この感覚、この印象、どこかで聴いたことのあるものだと記憶の糸をぐいぐいと手繰り寄せてみた。しばらくして思い出した。
リヒャルト・シュトラウスの最後の作品である。ヘッセとアイヒェンドルフの詩をテクストにしたこの4つの歌曲は、その詩が示すように作曲者最晩年の死の諦念が、シュトラウスの作曲技法の集大成といわんばかりの緻密なオーケストレーションと類稀なメロディセンスに彩られ、あまりの透明感に聴いていて切なくなると同時に新たな希望を生み出す生気に溢れている。何という祈り、何という無我、無心!死を恐れるどころか次の生に向けての喜びが刻み込まれているかのようで、繰り返し何度聴いても飽きない。

「眠りにつくとき」(詩:ヘルマン・ヘッセ)
そして、解き放たれた魂は
自由に飛び回りたがっている
夜の魔法の世界の中へ
深くそして千倍生きるために

「夕映えの中で」(詩:ヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフ)
おお、はるかな静かな平和よ!
こんなにも深く夕映えに包まれて
私たちはさすらいに疲れた
これが死というものなのだろうか?

R.シュトラウス:
・4つの最後の歌(遺作)
・12の歌曲
エリーザベト・シュヴァルツコップ(ソプラノ)
ジョージ・セル指揮ベルリン放送交響楽団、ロンドン交響楽団

生の終着点に至って人は達観するのかどうなのか、死というものへの恐怖心が完全に昇華され、そして消化されるよう。マーラーをはじめとし、幼い頃から死の諦念に囚われたという音楽家は多いように思うが、誰しも生まれた時点で「死」というゴールに向かっているわけだから、それこそ「今」というものを常に意識し、思う存分懸命に生を全うしたいものだと、この音楽を聴きながら考えた。天使が舞い降りるかのような美しいオーケストラ伴奏に対し、シュヴァルツコップのあまりに人間的な「歌声」が人間の弱さを露呈し、かえってそれがこの音楽に対する親しみを倍加しているようにも思える。昔から有名な録音だが、やはりシュヴァルツコップは稀代の名ソプラノだとあらためて思う。

ところで、ガブリエルの”New Blood”。そのタイトル通り、これまで産み落とされた名作に新たな血が注がれ、一聴虜になる。
その昔、初めてファースト・ソロ・アルバムを聴いたとき、”Down The Dolce Vita”に壮大なオーケストラ・アレンジが施され、僕の周囲のプログレ・ファンからは「いかにも産業ロック」っぽくていただけないという声が多く聴かれたのだが、当時からクラシック音楽ファンだった僕にはむしろその響きがとても斬新に聞こえ、バックを務めるロンドン響とのコラボなどが実現したなら興味深いだろうなと思っていたことを思い出した。
あわせて”Live in London”の映像も少し観たが、舞台の構成は実にシンプルで、ガブリエルが自身の芸術的思考を少しずつ削ぎ落としていった境地が、バンドとではなく管弦楽との共演だったんだろうと考えさせられた。ともかく深く美しいアルバムである。

3 COMMENTS

雅之

こんばんは。

先入観を与えるといけないので、感想は何も申しませんが、
騙されたと思って、これ1枚、全部聴いてみてください!
おススメです。

R.シュトラウス オーボエ協奏曲、4つの最後の歌(オーボエ版)、他 広田智之(オーボエ)、グラムス指揮 東京都響、三輪郁(ピアノ)
http://www.hmv.co.jp/product/detail/3904370

※また、明日から仕事が多忙になりますので、しばらくコメントできません。
 まことに申し訳ない限りですが、悪しからずご了承をお願いします。

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岡本 浩和

>雅之様
こんばんは。
何と!「4つの最後の歌」のオーボエ版ですか?!
歌の部分をオーボエが奏でるんですよね?
想像しただけで感動的です。
これは進んで騙されたいと思います(笑)。

お忙しいところコメントありがとうございます。

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