ピアノ・デュオ

piano_duets_ranki_kocsis.jpg長い夏休みが終わった。お陰さまでしっかり充電でき、しかも久しぶりに仕事やプライベートのことを家族で話し合えたことがよかった。それにしても最近は時間の経過が遅いように感じる。1日がやたらに長く感じるのだ。昨日のことがもう何日も前のことのように思えるのだから面白いものだ。

ところで、8月17日という日はとても思い出深い日である。妻と初めて出逢った日だから。もちろん4年前のその日、今のような生活を送っているとは全く想像していなかった。でも、おそらくあの日を境にしてだろう、以後僕の人生は恐ろしいほどのスピードで急展開する。そのことが良かったのか悪かったのか、それはあと何年か経たないとわからないが、少なくとも現時点ではいろいろな意味で、今のような生き方を堪能させていただいている。常に岐路に立たされ、背水の陣で攻めて行かねばならないという刺激的な生活だが、まぁこういうのもよかろう。それも独りで生きているのではなく、伴侶が在るお陰。感謝、である。

10日も空けるとやらなければならない作業がたまる。東京に戻って、早速ミーティングの後、メールの整理をしているうちにあっという間に午前0時。少しばかり「初めて出逢った」あの日のことを思い出しながら、2台ピアノの音楽でも聴いてみようか・・・。

モーツァルト:2台のピアノのためのソナタニ長調K.448(375a)
ラヴェル:マ・メール・ロワ(4手のための5つのピアノ小品)
ブラームス:ハイドンの主題による変奏曲作品56b(2台のピアノのための)
デジュー・ラーンキ、ゾルタン・コチシュ(ピアノ)

ハンガリー生まれの2人の巨匠ピアニストが若い頃Hungarotonレーベルに録音したとっておきの1枚。いずれの曲においても、ひとりのピアニストが4本の手で弾いているのではないかと思わせるほど息がぴったりと合っているが、それは互いが相手を尊重し合いながら音楽することを楽しんでいるからだろう。
モーツァルトの音楽のキラキラした煌きと自由で奔放な閃き。そして、ブラームスの音楽の何ともいえない高尚で、かつ高揚感のある音楽作り。さらに、実に爽快なのが連弾の「マ・メール・ロワ」だったりするところ。

言いたいことを隠すことなく言い合い、受け入れあうべきところは素直に受け入れ合う。感じ方も考え方も違う2人が同じ屋根の下で暮らすことはある意味修行であるといえるが、ラーンキとコチシュのピアノのようにピタッと決まった時の、達成感と爽快感は他の何ものにも代え難い。よくよく考えると、互いに凸凹じゃないとピタリとはまらない・・・。そう、互いにない部分をきちん補い合うことが円満の秘訣。


2 COMMENTS

雅之

おはようございます。
>8月17日という日はとても思い出深い日
今年の場合、前日の8月16日は旧暦の(本来の)七夕でしたから、お目出度い日が二日続いたわけです(笑)。
とにかく、おめでとうございます。
>感じ方も考え方も違う2人が同じ屋根の下で暮らすことはある意味修行である
人類が雄と雌による受精によって新しい個体をつくる「有性生殖」を、DNAを未来に残すための戦略上のベースにしてきた以上、それは人間同士が結婚して一緒に暮らす上では誰にとっても必然なことですね。我々人類は、母親と父親の、あえて異なる遺伝子を受けつぎ、種としての形質以外は両親と異なる形質を示してきましたが、そのことがまた、多様な子孫を増やし、環境が変化しても生き残る可能性を種として保ち続けるために必要なのですから。
>常に岐路に立たされ、背水の陣で攻めて行かねばならないという刺激的な生活だが、まぁこういうのもよかろう。それも独りで生きているのではなく、伴侶が在るお陰。感謝、である。
有性生殖により集団内の遺伝子を常に組み替えていかないと、病原体とのいたちごっこに負けてしまうという「赤の女王仮説」もあります。「赤の女王」とは、ルイス・キャロルの小説『鏡の国のアリス』に登場する人物で、彼女が作中で発した「その場にとどまるためには、全力で走り続けなければならない」という台詞から、種・個体・遺伝子が生き残るためには進化し続けなければならないことの比喩として用いられているそうです。
(↓「赤の女王」参考)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E3%81%AE%E5%A5%B3%E7%8E%8B%E4%BB%AE%E8%AA%AC
これは、経済や文化、国家も同じかもしれません。
>よくよく考えると、互いに凸凹じゃないとピタリとはまらない・・・。そう、互いにない部分をきちん補い合うことが円満の秘訣
女と男の話も、「光と翳」「N極とS極」「善と悪」「動物性タンパク質と植物性タンパク質」などの話とよく似ているということです(笑)。つまりは両方必要ってことです。
「女と男」、「互いにない部分をきちん補い合う」、異質な組合せによる「円満な名演」だと思って愛聴しているK.448(375a)を・・・。
アリシア・デ・ラローチャ(ピアノ)
アンドレ・プレヴィン(ピアノ)
イギリス室内管弦楽団
指揮:サー・コリン・デイヴィス
http://www.hmv.co.jp/product/detail/2598618
ご紹介の息の合ったハンガリーのコンビも最高でしょうが、ラローチャとプレヴィンなんていう異質な組合せによる演奏も意義深いでしょ(笑)。でも、これが意外にぴったりなんですよ。

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
確かにめでたい日が2日続きました。ありがとうございます。
>有性生殖により集団内の遺伝子を常に組み替えていかないと、病原体とのいたちごっこに負けてしまうという「赤の女王仮説」もあります。
>種・個体・遺伝子が生き残るためには進化し続けなければならないことの比喩
また新たな情報をありがとうございます。勉強になります。
ラローチャとプレヴィンによるこの録音は未聴です。
さぞかし、異質な組合せによる「円満な名演」なんでしょうね。聴いてみたいです。

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