グァルネリ四重奏団のベートーヴェン「ハープ」作品74&作品131(1988録音)を聴いて思ふ

小松雄一郎氏がベートーヴェンに関し、優れた見解を書いておられる。

ベートーヴェンにあっては、一つの想念は決して孤立したものとして存在せずその対立物を潜ませており、それが明らかになったときには、さらに高い綜合に進む運動を彼の精神構造がもっている、ということである。また彼が一つの音楽的主題またはモチーフとしてとらえたものを、そのような動的な端初としてとらえていることである。一つの音形が本来もっていたものを能動的に発展させるのは、ベートーヴェンの精神であって、その音形が自然に自動的に神秘的に発展するのではない。
小松雄一郎編訳「新編ベートーヴェンの手紙(下)」(岩波文庫)P221

世界が表裏、陰陽で成り立っていることがわかっていた彼は、そのバランスをとるために常に二重の創造を心掛けた。神の行為なのか、宇宙の生業なのかわからないが、ベートーヴェンにあって確かに大いなる意思の下で極めて能動的な創造が繰り広げられた。

「皇帝」協奏曲然り、「告別」ソナタ然り、この年に生み出された音楽は、どういうわけか調性が変ホ長調であることが多い。たぶん、ベートーヴェンは1809年頃、何かしらの啓示を受けたのだと僕は思う。
後期の入口といわれる過渡期。
しかし、崇高な世界の入口であるゆえの凝縮された音楽の魅力と、外へと拡がる解放のセンスとが入り混じるこの特別な感性は、中期にはなく、しかも後期には(自ずと)失われているもので、実に貴重である。

ナポレオン戦争の戦禍激しい最中、最終的にはルドルフ大公らがベートーヴェンをウィーンに引き留めたものの、この年、彼は周囲の様々な思惑の犠牲になり、追い出されそうになっていた。残された手紙には次のようにある。

遂に、陰謀、奸計、ありとあらゆる卑劣な策動のため、今なお唯一の祖国であるドイツを去らざるを得なくなりました。ヴェストファーレン国王陛下のお招きにより、年俸600金ダカットで宮廷楽長として赴任します。就任承諾の旨ちょうど今日出したところです。今日は辞令を持ち、旅装を整えるばかりですが、ライプツィヒを経由します。
(1809年1月7日付、ライプツィヒのブライトコップ&ヘルテル宛手紙)
小松雄一郎編訳「新編ベートーヴェンの手紙(上)」(岩波文庫)P181-182

相当な抑圧の中で書かれた個人的メッセージは、宇宙と直接につながっていたのかもしれない。四重奏曲変ホ長調作品74を聴いた。

ベートーヴェン:
・弦楽四重奏曲第10番変ホ長調作品74「ハープ」
・弦楽四重奏曲第14番嬰ハ短調作品131
グァルネリ弦楽四重奏団
アーノルド・シュタインハルト(ヴァイオリン)
ジョン・ダレイ(ヴァイオリン)
マイケル・トゥリー(ヴィオラ)
デヴィッド・ソイヤー(チェロ)(1988録音)

音楽の自然な流れに酔いしれる。
美しいのは第2楽章アダージョ・マ・ノン・トロッポの歌。グァルネリの演奏にも十分思いがこもり、真綿にくるまれるようなしっとりとした優しさに心からの安寧を思う。また、第3楽章プレストの激情は、当時のベートーヴェンの陰謀や奸計に対する怒りを示すようで、何とも物々しい雰囲気を持つ。ここでのグァルネリの演奏も堂に入る。そして、終楽章アレグレット・コン・ヴァリアツィオーニの憂い。

1809年5月31日、ヨーゼフ・ハイドンが逝った。
形而上的音楽を、形而下に持って下りたような、水も滴る生々しさを誇る作品131がまた素晴らしい。

 

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