妻の姪である加納裕生野さんが英国王立音楽院大学院を卒業されて、先般帰国された。長い英国生活を終えての7年ぶりの日本。これから継続的に日本で音楽活動をされるとのことだが、その第1回目の演奏会が本夕、渋谷ステュディオで催されたので足を運んだ。渋谷ステュディオは、2005年以来かのイェルク・デームスが来日の際に拠点にしているスタジオだという(昨年、愛知とし子がコラボ・リサイタルを開いた成城のサローネ・フォンタナもデームスに由縁があったから不思議な一致)。20人ほどでいっぱいになるこの会場は至近距離でピアノを堪能できるという利点こそあれ、反響板の余計な響きなどが少々邪魔をして、少しばかり興醒めな瞬間もあったのも事実。とはいえ、裕生野さんの演奏は最初から最後まで堂に入っており、今後の活躍を十分に期待させてくれるものだった。今後、毎月最終金曜日に、このスタジオでリサイタルがシリーズで開催されるということなので時間のあるときには訪れることにしよう。
2010年7月30日(金)19:30開演
渋谷ステュディオ
・ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第30番ホ長調作品109
・ドビュッシー:「映像」第1集~『水の反映』、『ラモーを讃えて』、『運動』
・ラヴェル:高雅で感傷的なワルツ
アンコール~
・シューマン(リスト編曲):献呈作品25-1 S.566
・ショパン(リスト編曲):6つのポーランド歌曲S.480~私の愛しい人
僕が裕生野さんの演奏を始めて聴いたのは、2007年12月24日に代官山で開かれたヴァイオリンとのデュオ・リサイタルで。この時のエルガーも大変な名演奏だったが、それ以上に感激したのが、2008年5月の杉並公会堂でのオール・ドビュッシー・プログラム。クラシック音楽愛好歴が長いにもかかわらず、ドビュッシーに関してはほとんど理解し難いと匙を投げていた矢先の実演で、しかもとても感激させられたものだから、彼女のお陰でドビュッシーに開眼させられたと言っても過言でない。その意味では本当に感謝している。本人的には今回のドビュッシーについてはあまり納得いかないような話だったが、いやいや相変わらず素晴らしい演奏だったと思いますよ。
ベートーヴェンの作品109は久しぶりに聴いた。
涙が出るほど良い曲だ。第3楽章の変奏曲は、まさに楽聖ベートーヴェンの「真実」が音化された傑作だと思うが、人生の喜びも悲しみも、あらゆる感情が縦横に行き来する。加納裕生野のピアノは、時にチェンバロのような音を奏で、時に電子音楽と化す。そしてある時はピアノの音そのものが強調され、ある瞬間はまるでオーケストラのように交響的な響きを鳴らす。「内燃するエロス」とでも表現できようか。
ドビュッシーは奔放だ。これほど自由に飛翔する音楽が他にあろうか。
そして、ラヴェルの音楽は、その名の通り極めて高尚だが、あくまで人間の域を脱することはない。ジャズやロックや、あらゆるポピュラー音楽を飲み込むおおらかさ。まさに「外部に向けられたアガペー」だといえる。
アンコールとして、今年生誕200年を迎える2人の天才作曲家の音楽をリストが編曲したもので締めるところがこれまた粋。演奏も秀逸。
おはようございます。
いや、素晴らしいプログラムの素晴らしい演奏、羨ましいです、聴いてみたかったです。
>ドビュッシーは奔放だ。これほど自由に飛翔する音楽が他にあろうか。
同感です。
ベートーヴェン後期作品の、例えば弦楽四重奏曲第14番OP.131での、あの、白い雲が次から次へと湧き出て流れてゆくイメージっていうのは、よく形容されるように、パレストリーナやフランドル学派などのルネサンス時代の音楽を想わせる一方、私にはドビュッシーの音楽に接近していったというイメージが昔からあります。
ベートーヴェンがフランス革命を通じ望んだ「人間の真の自由獲得」の作曲表現での最終目標達成は、ドビュッシーが果たしたとは言えないでしょうか?
ベートーヴェンが仮にもっと長生きしていたら、シューマンやブラームスのようなロマン派の表現領域を目指したのではなくて、一気に、「浮遊する感覚」の、ドビュッシーが多用したモードの領域にまで足を踏み入れていたような気がしてなりません。
Beethoven op. 131 string quartet # 14
http://www.youtube.com/watch?v=kW8wdpfkpM0&feature=related
So What by.Miles Davis
http://www.youtube.com/watch?v=DEC8nqT6Rrk&feature=related
>雅之様
おはようございます。
加納裕生野さんは名古屋でも結構な頻度でリサイタルを開いているので、機会ありましたら一度ぜひ聴いてみてください。
ちなみに、9月4日(日)は宗次ホールでトリオをやります。残念ながら僕は伺えませんが。
http://www.munetsuguhall.com/concert/201009/20100904M.html
>ベートーヴェンがフランス革命を通じ望んだ「人間の真の自由獲得」の作曲表現での最終目標達成は、ドビュッシーが果たしたとは言えないでしょうか?
確かにそうですね。これまで気がつかなかったのですが、作品131と「ソー・ホワット」を聴き比べてみてなるほどと納得させられました。ありがとうございます。