言葉にならない喜び。
「フィデリオ」は、幾度もの改訂の末残されたベートーヴェン唯一の歌劇だが、世間の評価がどうであれ、間違いなく傑作だと僕は思う。ベートーヴェンが、ジャン・ニコラス・ブイイの原作を借り世に問おうとしたのは、ほとんど牢屋に等しいこの世界から、真の解脱を図るのに、(特に未来において)女性の力がいかに重要であるかということと、真の自由は悟りの道筋にあり、最終的に大歓喜に至る道を示すことであった(と僕は想像する)。
「歓喜の歌」を持つ交響曲第9番に遡ること何十年も前から、おそらくベートーヴェンは人類がひとつになることを希求した。
フィナーレの大合唱の類稀なるエネルギーに、僕は人類が救われる様を見た。
そして、マヌエラ・ウール扮するレオノーレとペーター・ザイフェルト扮するフロレスタンが互いに愛を語り、抱擁する場面に涙がこぼれそうになった。
恐るべきは、チョン・ミョンフンの全編暗譜による指揮!!
歌劇は、指揮者が「『フィデリオ』の深遠な音楽の魂はすべて、『レオノーレ』序曲第3番に集約されています。ですから今回は、『フィデリオ』序曲ではなく、その前にベートーヴェンが作曲していた『レオノーレ』序曲の第3番に立ち返ろうと思っています」というように、何と「レオノーレ」序曲第3番によって火蓋が切られた。
重く暗く、また意味深い序奏から今日の演奏の素晴らしさを直観した。主部に入って徐々にスピードを上げ、猛烈な勢いで鳴らされる金管とうねる弦楽器に怒りのベートーヴェンを思った。(大臣の到着を知らせる)舞台裏のトランペットの朗々たる響きが実に生々しかった。そして、コーダにかけての迫真のアッチェレランドに手に汗かいた。今夜は間違いなく最高のパフォーマンスになるだろうと思った。
東京フィルハーモニー交響楽団第907回サントリー定期シリーズ
2018年5月8日(火)19時開演
サントリーホール
ペーター・ザイフェルト(フロレスタン、テノール)
マヌエラ・ウール(レオノーレ、ソプラノ)
小森輝彦(ドン・フェルナンド、バリトン)
ルカ・ピサローニ(ドン・ピツァロ、バス)
フランツ=ヨーゼフ・ゼーリヒ(ロッコ、バス)
シルヴィア・シュヴァルツ(マルツェリーネ、ソプラノ)
大槻孝志(ヤキーノ、テノール)
馬場崇(囚人1、テノール)
高田智士(囚人2、バス)
東京オペラシンガーズ(合唱)
篠井英介(お話)
近藤薫(コンサートマスター)
チョン・ミョンフン指揮東京フィルハーモニー交響楽団
・ベートーヴェン:歌劇「フィデリオ」作品72(演奏会形式)
第1幕
休憩
第2幕
歌手陣は揃って上出来だったが、飛び抜けて素晴らしかったのがレオノーレ(フィデリオ)を演じたマヌエラ・ウールの人間離れした歌唱。小さな身体から半端ない熱量が発され、まさに夫(いや人類)を救わんとする勇気ある女性を体現する見事さだった。
おお、何とうれしいことだ。自由な空気の中でやすやすと呼吸ができるなんて。
~アッティラ・チャンバイ/ティートマル・ホラント編「名作オペラブックス③フィデリオ」(音楽之友社)P83
第1幕では、神々しい「囚人の合唱」に聴き惚れ、その後のレオノーレとロッコの二重唱に金縛りに遭うほどだった。
いいえ、いいえ、私はその囚人を見なければならない。その可哀そうな人に会わねばなりません。自分自身を滅ぼすことになっても、行かねばなりません。
~同上書P89
そして、第2幕は暗澹たる序奏に始まり、極めつけは直後のペーター・ザイフェルト演じるフロレスタンのアリア!!この神との対話の素晴らしさ!!
人の世の春の日に、幸福は私から逃げ去った。
真実を大胆にあえて言ったばっかりに報いはこの鎖です。
~同上書P95
囚われの身の悲しみと、解放されたときの喜びと、さらには愛を語るときの包容力と、すべてが見事な感情移入を伴って歌われるザイフェルトの心は、僕たちを心底魅了した。
述べがたいほどの苦しみの後に今のこの大きすぎるほどの歓喜よ!
~同上書P115
夫婦であれ何であれ、人と人とがひとつになる喜びは何ものにも代え難い。
闘争から勝利への大歓喜。何という爆発!大合唱を伴って演奏された管弦楽の炸裂たるや・・・。「フィデリオ」は間違いなく傑作だ。
ところで、演奏前5分余り、篠井英介による物語のあらすじのお話があったが、内容はとてもわかりやすく、歌劇の理解の助けになるので良い試みだと思ったが、途中客席から「早く演奏しろ!」という怒声があがったのには少々驚いた。
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