チャイコフスキー・マジック、その2

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様々な出来事が重なり、心身ともに疲弊状態だったちょうどその時、チャイコフスキーはマリインスキー劇場から「くるみ割り人形」の委嘱を受けた。それでも意を決して作曲の筆を執るや楽想が奔出し、稀代の名曲が生まれるのだが、結局、人は自分ができることを命懸けでやれば成果を得ることができるものなんだ、裏返せば「できることしかできないんだ」ということが、このエピソードからもよく理解できる。
「人間力発見日記」では、「やりたいことを探す」のではなく「できることをやろう」という旨のことを書いた。若者は未来のことを空想しながら何をやりたいのか一生懸命に探す。しかし、どんなに這いつくばっても、どんなに自己分析しても、それが何なのかを探し当てることは至難の技だ。
「できることをやればいいんだ」ということに気づいた人は強い。自分の方向性について悩むときには得てしてすべてが備わっているものだから。そう、その時点では既に完璧ということだ。それでも自信を持てない人は右往左往する。まずは勇気を振り絞って飛び出してしまうこと。そして「できること」を地道に積み重ねること。何歳からでもやり直しは効くのだから。

繰り返し「くるみ割り」を聴くうち、チャイコフスキーの素晴らしさにあらためて感動した。まったく脱帽の想いだ。こうなったらしばらく19世紀ロシアの天才作曲家の音楽を久しぶりにいろいろと振り返り、聴き漁ってみようと考えた。

チャイコフスキー:歌劇「エフゲニー・オネーギン」作品24
サラ・ウォーカー(メゾソプラノ)
ヌッチャ・フォチーレ(ソプラノ)
オルガ・ボロディナ(アルト)
イリーナ・アルヒーポヴァ(メゾソプラノ)
ドミトリ・ホロストフスキー(バリトン)
ニール・シコフ(テノール)ほか
サンクト・ペテルブルク室内合唱団
セミヨン・ビシュコフ指揮パリ管弦楽団

1877年、チャイコフスキーは第1幕第2場のタチヤーナによる「手紙のシーン」から音楽を書き始めたというが、昨日の「くるみ割り」の「雪片のワルツ」同様、彼の場合最初に閃いた、つまり書き出した音楽というのは、止めどなく溢れる楽想をこぼすことなく伝えようとする意志が明確に表れており、聴く者に多大な感銘を与えてくれる。オペラの随所随所に、この一つ前の発表作であるピアノ協奏曲第1番の楽想が木霊するが、ともかく心身ともに充実した人生で最高の頃だったことは間違いない(とはいえ、同性愛者の彼が、その事実を隠すために好きでもない女性と結婚したのもちょうどこの頃だから、そのあたりの心境はどうだったんだろう・・・)。

しかし、プーシキン原作のこの物語の一応主人公であるエフゲニー・オネーギンという男はどうしようもない人間である。若い頃、田舎娘のタチヤーナの求愛を冷ややかに蹴ったにもかかわらず、数年後見違えるように美しくなった彼女に惹かれて求愛するも、時既に遅し。「なぜ今頃になって・・・」と訝るタチヤーナに見事に振られてしまう。

自己中心的・・・。勝手なものである。

ちなみに、ビシュコフという指揮者についてはあまりよく知らない。少なくともこの音盤を聴く限りにおいては美しい音楽を奏でており、僕的には充分満足のゆく演奏だが。

3 COMMENTS

雅之

おはようございます。
「エフゲニー・オネーギン」は、作品中の「ポロネーズ」を昔アマ・オケの演奏会で弾いたことがとても良い思い出なのですが、正直オペラ本体はCDを聴いてもそれほどピンと来ず、部分部分の音楽は良くても、ストーリーも含め愛着はあまりない作品でした。しかし、実際の上演に接したらまだまだいろんな魅力の発見が出来そうだし奥が深そうですね。はっきり言って勉強不足ですので、これを機にもう少し学んでみます。
私がチャイコフスキーのオペラで唯一全曲に耳馴染んでいるのは、後期の、交響曲第5番と「悲愴」の間に書かれた「スペードの女王Op68」です。昔、この曲の上演をBSの録画で初めて観た時、舞踏会での劇中劇「忠実な羊飼いの娘」というバレエ・オペラの場面に差し掛かってぶったまげました。まるでモーツァルトの音楽そのものそっくりだったからです。
↓改めて聴いてみてください。
http://www.youtube.com/watch?v=R0ZKMhSPOmQ&feature=related
彼がこれほどモーツァルトの語法をマスターして曲が書けたなんて驚きでした。「ロココの主題による変奏曲Op33」とか「弦楽セレナーデOp48」とか、彼にはモーツァルトへの憧れを現した作品は他にもありますが、ここまでモーツァルトその人になりきった部分は、他の作品では見当たりません。
「エフゲニー・オネーギン」と同じプーシキン原作のオペラ本体のストーリーは、「ギャンブルで身を滅ぼす」という暗い話ですが、この魅力的な劇中劇の音楽が聴きたいばかりに、今も時々CDをかけます。また、オペラ全体の音楽も「エフゲニー・オネーギン」よりも遥かに充実している傑作なんじゃないかと思います。
※愛聴CD
ヴィシネフスカヤ、グガーロフ、レズニック、ヴァイクル、他 ロストロポーヴィチ&フランス国立放送管
http://www.hmv.co.jp/product/detail/29523
指揮者のビシュコフについては、ご紹介の盤は未聴ですが、ベルリンPOとのショスタコの交響曲第11番やパリ管とのラフマニノフの交響曲第2番などのCDを持っていて聴いたことがありますが、実演に接した経験がないので、私もまだ今一よくわからない指揮者です。1986年だったかにベルリンPOと「くるみ割り人形」全曲を録音していて、評判を聞いて1年くらい前に、タワーレコードから廉価復刻されたCDを買って、そのまま忙しくて聴かずにしまっていたことを思い出しました。ラトル盤との聴き比べはとても面白そうですが、今はラトル盤にぞっこん惚れ込んでいるので、冷めるまで浮気はしたくないです(笑)。
>どんなに這いつくばっても、どんなに自己分析しても、それが何なのかを探し当てることは至難の技だ。
>「できること」を地道に積み重ねること。
日本という国自体が、地道な努力が必要な時代ですね。

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岡本 浩和

>雅之様
こんにちわ。
僕もチャイコフスキーのオペラに関しては聴き込んだわけではないので多くは語れませんが、「エフゲニー・オネーギン」に関してはプーシキンの原作通り、オネーギンにフォーカスを当てて聴いてみると面白いと思います。オペラ化され。どちらかというとタチヤーナの物語になっていますが、心理ドラマとしてこ主人公の立場で感じ、聴いてみるのです。
そんなことを考えながら僕は昨日このオペラを聴いていました。もう少しじっくりと聴いてみたいと思っています。
あと、おっしゃるように「スペードの女王」の方が晩年の作品だけありより円熟の境地ですよね。僕も好きです。それと、ご指摘のモーツァルトからの影響についてですが、これも見事ですよね。素晴らしいです。彼はアマデウスの生まれ変わりなんじゃないでしょうか?
>ラトル盤との聴き比べはとても面白そうですが、今はラトル盤にぞっこん惚れ込んでいるので、冷めるまで浮気はしたくないです(笑)。
笑・・・。いつか浮気をしたときにあらためて感想をお聞かせください。(笑)

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