
僕の原点。
長い夏休みの、勉強や課外活動から解放し、癒してくれたバックハウスのモーツァルト。いかにもベートーヴェンを奏するときのような、武骨でありながら生々しくも透明な、不思議な魅力に富むモーツァルトは、40余年を経ても相変わらず僕の宝物。もちろんこれを凌駕する演奏は今や数多だけれど。
それにしても人間の刷り込みとは恐るべし。解釈の隅々まで覚えていて、聴くたびにあの日のあの瞬間のことがまざまざと脳裡に蘇るのだから。人間の空想は時間と空間を超える。その意味で僕たちはいつも自由自在だ。そして、モーツァルトの天衣無縫の精神の如く、純真で無垢で、これぞ天が人類に与え給うた至宝だ。
ぼくは詩を書けません。詩人ではありませんから。ぼくは表現を巧みに描きわけて影や光を生み出すことはできません。画家ではないからです。そればかりか、ぼくはほのめかしや身ぶりで、ぼくの感情や考えを表すこともできません。ぼくは踊り手ではありませんから。でも、音でならそれができます。ぼくは音楽家ですから。
(1777年11月8日付、レオポルト宛)
~高橋英郎著「モーツァルトの手紙」(小学館)P202
マンハイム旅行中の父宛の手紙を読むと、21歳のモーツァルトの類稀なる自信が垣間見え、しかしそれは実に謙虚で、それだけでなんだかとても癒される。唯一無二たるバックハウスのモーツァルト然り。
最晩年に録音した老練の、一切の虚飾のない初期ソナタたちが俄然美しい。
バックハウスの音楽は年齢を重ねる毎にまさに純粋さを取り戻し、ここに至ってはもはや他の誰にも真似することのできない孤高の境地に至っていたことがわかる。
ソナタ変ホ長調K.282第1楽章アダージョの、夢みるような、しかし朴訥な音調に言葉がない。あるいは、(初めて聴いた時から僕を虜にした)ソナタト長調K.283第1楽章アレグロは、意気揚々と理想的なテンポで奏でられ、青年モーツァルトの、より自由な世界へ羽ばたこうとする意志がうまく表現され、聴いていて実に安心だ。
久しぶりに耳にして、やっぱり震えた。