手持ちのマイルス・デイヴィスの音盤は極々僅かだが、これまで何となく聴いてきた彼の音楽を少し真面目に振り返りながら、体系立てて聴いてみるとより一層面白くなるだろうと考え、モードに移行する前の彼の演奏を立て続けにいくつか聴いてみた。1951年に録音された、いわゆる「ハードバップ」期のマイルスの音楽(例えば”Dig”)なんかは、後の”Milestones”や”Kind of Blue”というアルバムの色合いとこれまた違っていて、若い頃だったらこちらの方がひょっとするとわかりやすかったのだろうが、今となっては(少なくとも僕の耳には)モード・ジャズ期のマイルスの方がクールで滅茶苦茶かっこいいと思える代物。1955年の”The New Miles Davis Quintet”なんかもそう。「決して悪い出来じゃなかったが、次の年に俺達がやったことに比べたら、そんなに凄いものじゃない」と後にマイルス自身が語るように、まだまだぎこちない面はある。しかし、さすがは天下のジャズメン達を従えたバンドであるのは間違いなく、セッションを重ねるごとにまとまりを見せ始め、短期間で例の黄金のカルテットにすら発展してゆくのだからやっぱり彼のリーダーシップというのは並ではない、「天才」である。それにしても、僕の耳で聴いても明らかなのは、マイルスのトランペットの音はどんな時代でも変わっていないということ。時代の流れを先見し、半歩、いや一歩先を常に歩み続けながら、しかも自身の個性、軸というものをぶらさないという「チャレンジ精神」がことのほかクールだ(月並みな言葉しか並べられない自分の語彙力が情けない・・・涙)。
まぁ、このあたりの音盤についてはもう少し勉強してからひとつずつじっくりと採り上げることにしよう。
夕方、所用で少し外出したが、ちょうど台風が関東方面に接近していた時間帯だったからだろう、雨も風も厳しく、傘を差していたにもかかわらずびしょ濡れになった。季節外れの台風、困ったものだ。夜は大人しく都会風の大人の音楽でも聴くことにする。70年代のエレキ・マイルスでも良かったのだが、もう少しソフィスティケートされたものがいいかなと思って、久しぶりにスティーリー・ダンを。
Walter BeckerとDonald Fagenの、このユニットにゲスト参加したミュージシャンのそうそうたる顔ぶれ。Larry Carlton(最近B’sの何とかっていうギタリストと共作したというアルバムがリリースされたらしいが、CDショップの玄関のところでいつだったかやたらうるさく宣伝されていたのを見たことを思い出した)をはじめ、Steve Gadd、Joe Sample、Wayne Shorter、Lee Ritenour、Michael McDonaldら、ジャズやフュージョン、ロックの指折りのテクニシャンを中心に総勢36名!「お金(と時間も)かけてるなぁ・・・」(笑)、という作品である。
もちろん内容についてはコメントするまでもない。洒脱で超かっこいい。すごく計算されているにもかかわらず、決して冷たくない、人間らしい温かさを秘めた作品。菊地成孔+大谷能生「憂鬱と官能を教えた学校」の「第12講総論」で菊地氏が述べた、「だけどやっぱ一番素晴らしかったのは、ジャズが好きな世界中の人間がそこに集まってて、毎日24時間いつでもみんなで練習できたってことが一番良かった」という話をまた思い出した。マイルスの熱い作品もスティーリー・ダンの音楽も、人と人とのつながりがあってできているものなんだという当たり前のことを再確認。
おはようございます。
>やっぱり彼のリーダーシップというのは並ではない、「天才」である。
同感です。マイルスはトランペット奏者でありながら、「指揮者」以上の仕事をしましたよね。
昨日のコメント欄での岡本さんの、
>これって、やっぱり18世紀前半の平均律の完成という事実が影響してるんでしょうかね?
について。
昨日もご紹介した後藤雅洋さんは、「新 ジャズの名演 名盤」(講談社現代新書)
http://www.amazon.co.jp/%E6%96%B0-%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%BA%E3%81%AE%E5%90%8D%E6%BC%94%E3%83%BB%E5%90%8D%E7%9B%A4-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E5%BE%8C%E8%97%A4-%E9%9B%85%E6%B4%8B/dp/4061495488/ref=sr_1_4?s=books&ie=UTF8&qid=1288481624&sr=1-4
の、セロニアス・モンクの項(150~154ページ)の中で、こんなことを書いておられますが、ヒントのひとつにはなりそうです。
・・・・・・人は簡単に「自由」ということばを口にするけれど、これはそれはそれほど単純なことではない。形からはずれたとたん、ミュージシャンはすべての音を自分の意志で選びとらねばならなくなる。自由とはけっこう大変なことなのだ。で、その大変なことをキチンとやったのがモンクなのである。モンクはかなり長いこと売れない時期があったが、そんなとき、モンクは自宅のピアノに向かい、一人でさまざまな音の響きを試していたそうだ。
ちょっと小むずかしい話になるが、ピアノというのはヨーロッパ的な音楽思想をガンコに体現している楽器である。クラシック音楽の歴史から生まれた「平均律」という調律法をかたくなに守っているキカイなのだ。ギターなら弦の押さえ方で、サックスなら吹き方いかんで、かなり自由になる微妙な音程のコントロールがピアノでは不可能なのである。
ピアノで演奏すれば全部西欧音楽なのだ、という極端な論議も、まったく根拠のないこととは言い切れないところがある。ま、つまらない例だけど、ピアノで演奏するインド音楽とか、ピアノ伴奏のついた長唄なんてものを想像してみていただきたい。
で、ジャズである。ジャズはもちろん西洋音楽ではないけれど、ジャズ・バンドにピアノがあることによって、搦(から)め手から西欧思想の浸食を受けているのだ。モンクは構造的な不自由を、ピアノを破壊することなく乗り越えようとした。モンクが一人でピアノの音の響きに聴きいっていたのは、このどっぷりとヨーロッパ音楽にひたりきった楽器から、本当に自由な自分の音楽を弾き出そうとしていたのである。・・・・・・
昨日、小山実稚恵さんのリサイタルで、ショパン「24の前奏曲」の名演を楽しみながらも、「ピアノという楽器は万能で便利で美しい音が出る完璧な楽器と多くの人に信じられながら、実際は、最も不完全で不便な、かわいそうな融通のきかない鋼鉄製の楽器に過ぎないのではないか」などと、不埒なことが脳裏をよぎってしまいました。
後藤さんの推薦盤
Thelonious Monk Trio
http://www.hmv.co.jp/product/detail/2666922
岡本さんの本日ご紹介の盤も未聴なので、上記モンクのCDとともに注文して入手し、何回も聴いて勉強してみます。
>雅之様
おはようございます。
菊地氏の影響だと思いますが、今の僕はマイルスをもっと深く知りたくなっています。音楽的発展過程を勉強できるだけでなく、ひょっとすると「人間」あるいは「組織」なんかがすごく学べるんではないかという気がするんですよね。これまで漠然と聴いてきたことがもったいなかったなぁと思います。
>モンクが一人でピアノの音の響きに聴きいっていたのは、このどっぷりとヨーロッパ音楽にひたりきった楽器から、本当に自由な自分の音楽を弾き出そうとしていたのである。
なるほど!確かに、雅之さんが小山さんのリサイタルで感じられたように、ピアノほど不自由な楽器ってないのかもしれませんね。音程は決められてるし、持って歩けないし・・・。
後藤氏の文章を読んで、モンクの音楽が刺激的な理由が少しわかった気がします。ご紹介ありがとうございます。
後藤さんの推薦盤の「モンク・トリオ」はとてもいいですよ。
ぜひ、お聴きになってみてください。
>音楽的発展過程を勉強できるだけでなく、ひょっとすると「人間」あるいは「組織」なんかがすごく学べるんではないかという気がするんですよね。
同感です。現在のような「大乱世」には、クラシック演奏の巨匠から以上に、マイルスから学ぶべきところが多いかもしれません。
ちなみに、カラヤンは世界的巨大企業のトップ、マイルスはベンチャー企業の社長、グールドは組織に属さない個人事業主といった観点からのアプローチも面白いかもです(笑)。
マイルス(38歳?)、ハービー・ハンコック(27歳?)、ロン・カーター(24歳?)の時の、”So What”なども、そのベンチャーぶりが素晴らしいですよね(笑)。
http://www.youtube.com/watch?v=TR5b0Eryr1U&p=00FC198DBE4EFDD4&playnext=1&index=3
けっして一カ所に安住してとどまらなかった、真の天才・イノベーターでしたよね、マイルスは。
(5年前)↓
http://www.youtube.com/watch?v=qlIU-2N7WY4&feature=related
>雅之様
こんばんは。
>カラヤンは世界的巨大企業のトップ、マイルスはベンチャー企業の社長、グールドは組織に属さない個人事業主といった観点からのアプローチ
うまいですねぇ、その比喩。
>けっして一カ所に安住してとどまらなかった、真の天才・イノベーター
いやぁ、ほんとにかっこいいです。ご紹介の映像、どちらも最高です。ありがとうございます。