Epitaph Official Bootleg 1969

オリジナル・キング・クリムゾンのデビュー当時の音源をいろいろと聴き込んで感じた。このバンドは生まれた時から既に完成形を示しており、あの「宮殿」というアルバムはあくまで彼らを世界的に認知させるための手段のひとつであって、ライヴ演奏こそが各々のメンバーにとって重要な要素だったんだということをあらためて認識した。
15年ほど前にリリースされた「エピタフ~1969年の追憶~」という2枚組セットにはBBCセッションをはじめとして当時のフィルモアでの演奏が、最良の音ではないにせよ聴きごたえ十分の優れた音質で記録されており、もうこれだけでお腹いっぱいになるほどの充足感が味わえる。おそらく当時のファンは1度彼らのギグを聴いてそのあまりのエネルギーに卒倒しながら、また聴いてみたいという欲望に駆られたのだろう。そして、何度も彼らのライブに通う、そんな麻薬のようなセッションが繰り広げられたのだと思う(当時のセットのラスト・ナンバーである”Mars”はホルストの音楽自体がそういう要素を秘めているにせよ、どうにも魔術的な雰囲気に溢れ、ここに辿り着いた時点ですでに聴衆も疲労困憊していたのでは?)。

何よりフリップをはじめとする各メンバーの詳細なインタビューや回想がブックレットでついており、これを具に眺めるだけで、わずか半年ほどで崩壊せざるを得なかったオリジナル・クリムゾンのパワーの理由が納得できる。

“クリムゾンの王様”、“バンドリーダー”というレッテルは1969年の崩壊後ずっと私について回ることになった。・・・(中略)・・・だが、事実は違う。もともとのメンバーは誰も私をリーダーとは思ってはいなかったし、私自身もそうだった。グループはグループであり、全員の貢献によるものであった。それぞれの貢献が互いに影響し合ったのだ。たった一人の人間がその状態を作り出すことなどできなかったし、今日でも不可能である。

フリップのこの言葉にオリジナル・クリムゾンの「すごさ」の理由が集約される。

グループは瞬く間に人気を得て、瞬く間に不人気になった。・・・(中略)・・・
1969年のキング・クリムゾンには正しい音楽、ミュージシャンたち、音楽業界、オーディエンスがあり、それらが上手く作用していたのだ。これらが重要な要素となってキング・クリムゾンを押し上げ、成功に導いた。

そしてフリップは、「宮殿」というアルバムについてもこう語る。

この時期の唯一のアルバムである「クリムゾン・キングの宮殿」は、クリムゾンのライヴの凄まじさを伝えるには物足りないが、いわゆるクリムゾンの音楽を特徴づける強力さを持っている。

メンバーにとってライヴ・パフォーマンスこそが「命」だったということだ(すなわちレコード録音は名刺代わりのようなものということか)。

さらにフリップは、69年のクリムゾンが唯一無二のものだと認めながら次のようにも語る。

クリムゾンについての私自身の展望は、1969年当時の他のメンバーたちとは明らかに違っている。本物のクリムゾンは初代、つまり彼らのいたクリムゾンだけだとする見方はわからないでもない。確かに初代クリムゾンは魅力的だった。しかしそれと同様の魅力を他のクリムゾンが備えていないというわけではない。

ロバート・フリップはとても客観的だ。そして全体観に優れている。
一方、他のメンバーの初代クリムゾンに対する見解はどうか。
イアン・マクドナルドは言う。

もし第1期キング・クリムゾンがそのまま活動を続けもう1枚アルバムを作っていたとしたら、どうなったんだろうと時々思うことがある。やはり1枚目が僕たちにとって最高のものだったのか、それとももっと凄いアルバムができたのだろうか?僕としてはできたと信じたい。でも音楽の歴史を書き換えることはできないから、今となっては少なくとも「クリムゾン・キングの宮殿」という1ページを手掛けたことで満足するしかない。

どうやらイアンは後悔しているみたい。

またグレッグ・レイクは・・・。

最近ファンと会話を交わす際、彼らはこのメンバーのキング・クリムゾンが自分たちにとって神聖なものであり、そしてその音楽によって如何に人生が変わったか話してくれる。このようなファンは他にも大勢いて、僕たちのことをほとんどまるで何か神秘的な存在の如く崇めているのだ。
でもそんなことは取るに足らない。
僕にとって大事なことは、このメンバーでのキング・クリムゾンの音楽が30年に及ぶ歳月を経た今でもなお、ぞくぞくするようなパワフルな音楽であるということだ。

そうか、グレッグには後悔はなさそうだ。
メンバー自身の言葉をきちんと理解して聴く最後のパフォーマンス(これをもってマイケルとイアンが脱退し、グレッグはここでキース・エマーソンと出逢うことになった1969年12月16日のフィルモア・ウェストでのギグ)は涙が出るほど素敵だ。

King Crimson:Epitaph  Official Bootleg – Live in 1969

Personnel
Robert Fripp (guitar)
Ian McDonald (woodwind, keyboards, mellotron, vocal)
Greg Lake (bass guitar, lead vocal)
Michael Giles (drums, percussion, vocal)
Peter Sinfield (words & illumination)

オリジナル・クリムゾンの奇跡は、ビートルズのそれ、ツェッペリンのそれと等しく、その時その場での偶然であり、それこそが「必然」だったひとつの現象である。代役はいない。ましてや後年の再結成などもあり得ない(ツェッペリンはジェイソン・ボーナムを擁して一夜限りの復活をしたけれど・・・苦笑)。

※メンバーの言葉(太字)はすべてCDセットのライナーノーツより引用


4 COMMENTS

みどり

岡本さん、あなたはという人は! 降参します(笑)。

あの「宮殿」の緊張感と爆発力をライヴで「おとなしく」再現することなど
無理だろうにと、なぜライヴに拘るのか不思議でした。

私が初めてクリムゾンを聴いたのは76年で、バンドは解散していました。
グレッグは既にEL&Pで活動していて、イアンはForeignerの始動に
向かっていた時期です。
グレッグはEL&Pで自分のやりたかったことに挑戦でき、また名声も得る
ことができた。だから、自分の判断と選択に後悔はない。

ですが、イアンはクリムゾンの後、うまく行かなかったのだろうと思います。
自分がリーダーになりたいとは思わないけれども、御されるのは本意では
なく、同等の才能を持ったメンバーと互いに技量を発揮できる場所が
欲しかったのだと思いますが、結局は見つからなかったのではないかと。
(Foreignerの“Tramontane”、クリムゾンでなら凄い楽曲になっていた
だろうと思うと残念。もちろん良曲であることに変わりありませんが…)

フリップにしても、クリムゾンの存続のためにはリーダーにならざるを得ず、
なったがために様々な確執から逃れられなくなった…ということでしょうか。

岡本さんがクリムゾンを聴き始めたのは大学になられてからでしたよね?
どれほど聴き込んでいらっしゃったのかと思うと、本当に感服いたします。
ご教示を願ってよかった。ありがとうございます。

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岡本 浩和

>みどり様

>Foreignerの“Tramontane”、クリムゾンでなら凄い楽曲になっていただろう

同感ですね。Redの時にイアンの復帰が決まっていましたよね。しかし、突然のフリップの解散宣言でそれも無理になった。ある意味運の悪い人だと思います(笑)。あそこでクリムゾンが解散していなかったら、どんなアルバムが出たんでしょうね。

僕はクリムゾンは大学に入ってから、1983年に初めて聴いて以来のめりこみました。
しかしながら、小学校6年(中学1年?)からクリムゾンを聴かれているみどりさんにこそ敬服いたします。
今後とも宜しくお願いします。

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