クレンペラー指揮ニュー・フィルハーモニア管のハイドン第88番(1964.10録音)ほかを聴いて思ふ

悩んだときは原点に戻ること。
原点とは、一つの完成形であるゆえ。

時折ヨーゼフ・ハイドンの交響曲が聴きたくなる。
西洋クラシック音楽の革新者であり、完成者はベートーヴェンだと信ずるが、ハイドンこそが長い音楽史の中で「ソナタ形式」を形にした天才だった。何より彼の特筆すべきは、ソナタ形式楽章に、序奏を導入したことだろうか。

演奏会だけでなく、楽譜出版の世界でも、ハイドンは時代の最も成功した作曲家だった。まだハンガリーの片田舎でエステルハージ家の宮廷に仕えていた頃から、彼の交響曲などは(海賊版も含めて)大量に楽譜出版されていたのだが、この楽譜出版の方面での彼の成功を象徴するジャンルとしては、何より弦楽四重奏曲を挙げたい。周知のように、ハイドンは「交響曲の父」であると同時に、「弦楽四重奏曲の父」だった。
岡田暁生著「西洋音楽史『クラシック』の黄昏」(中公新書)P110

一時代前のヘンデル同様、ハイドンはビジネスマンでもあったということ。おそらく、宮仕えの時代に、単にパトロンの機嫌を取るために、言いなりに作品を書くのでなく、自身の内的発露に従って、序奏に意味深な思いを込めたのだろうか、それらはいずれも精神性の高い音楽になっている。

ハイドン:
・交響曲第88番ト長調Hob.I:88(1964.10.12-14録音)
オットー・クレンペラー指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団
・交響曲第98番変ロ長調Hob.I:98(1960.1.19-21録音)
・交響曲第101番ニ長調Hob.I:101「時計」(1960.1.18-19録音)
オットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団

重戦車の如き、傑作第88番ト長調。
クレンペラーの表現は、現代オーケストラによる古典派再現の鑑となるべき微動だにしない重厚かつ浪漫溢れるもの。第1楽章序奏から涙が出るほど。また、主部アレグロではややテンポを上げ、一気呵成に進もうとするも、やはりクレンペラーらしい堂々たる演奏になることが素晴らしい。内燃する愉悦と透明感は他では絶対聴けぬもの。

同じく第101番「時計」第1楽章の序奏も、あまりに深遠ゆえ心動く。そして、主部プレストの弾け具合は控えめで、一音一音を堪能せんとクレンペラーが聴衆を扇動するような趣。ハイドンの生み出す旋律の美しさよ。あるいは、「時計」のあだ名の出どころである有名な第2楽章アンダンテの、語りかけるような名残惜し気な音調!いずれのメヌエットも典雅で心底素晴らしい。

ハイドンとベートーヴェンとの師弟関係は、後世さまざまに憶測されている。だが、ハイドンがこの弟子を高く評価していたことは疑いない。彼を教え始めて1年ほど経った1793年11月に、ボンの選帝侯に送った手紙には、こう述べられている。「やがてベートーヴェンがヨーロッパ最大の音楽家となることは、専門家も好楽家もひとしく認めざるをえず、しかも私は、自分が彼の師とよばれることを光栄に思うことでしょう」。
青木やよひ著「ベートーヴェンの生涯」(平凡社新書)P73

ベートーヴェンの才能もさることながら、ハイドンの先見が光る。
わかる人にはわかる、天才同士の邂逅。ハイドンあってのベートーヴェンなのである。
悩んだときはヨーゼフ・ハイドンを。

 

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