人は皆ひとりひとり価値ある存在である

mozart_clarinet_quintet_wlach.jpgようやく落ち着いて、多少の暇ができたので「人間力向上セミナー」の簡単なホームページを立ち上げようと頭を捻り出した。本格的なものを作るだけの費用と労力はかけられないので、あくまでページを見ていただいた方にどういう内容のセミナーを主宰しているのかの大枠がわかるようなものにしようと思っている。
何をどういう風に掲載するかを考え始めて、壁にぶち当たった。毎回セミナーを実施するたびに受講生にお話することを、簡潔にわかりやすく文章化するのは意外に難しい。自分が提示したいことが明確にあり、目の前で語れといわれればできることが、不特定多数のまだ見ぬ方々を相手にするとなると途端に難しくなるのだ。

やっぱり人間のコミュニケーションというのは、空間を共にし、目を見つめて、時には触れ合い、お互いの呼吸を感じながら進めていくのがベストなんだということをこういうことからも実感する。もちろんWebマーケティングの専門家に委ねれば、ツボを押さえた回答、解決策をいただけるのであろうが・・・。

僕は、自分らしく生きること、そして自分らしく生きている自分を好きになることが人生を謳歌するポイントだとつくづく思うのだが、これが意外に大変なこと。どうしても他人の評価を気にしたり、相対的な物差しの中で生きてきた癖が抜けないあまり、必要以上に自己卑下したり、逆に傲慢になってしまったりするのが落とし穴で、数年前にSMAPが歌って流行った「世界に一つだけの花」じゃないが、たくさんの人たちがが「誰もがみんなきれいで、価値あるものだ」ということを忘れてしまっているんじゃないかと思う(それに、そもそも「自分らしく」ってどういうことなのかすらわからなくなってしまっている若者も多いようだし・・・)。

花屋の店先に並んだ いろんな花を見ていた
人それぞれ 好みはあるけれど
どれもみんな きれいだね
この中で誰が一番だなんて 争うこともしないで
バケツの中 誇らしげに しゃんと胸を張っている

それなのに 僕ら人間は どうしてこうも比べたがる?
一人一人違うのに その中で 一番になりたがる?

そうさ 僕らは 世界に一つだけの花 一人一人違う種を持つ
その花を咲かせることだけに 一生懸命になればいい
(作詞・作曲・編曲:槇原敬之)

等身大の自分を知り、認め、受容することが自己変革のポイント。他者に共感し、理解し、受容できるだけのコミュニケーション能力を磨くこと。そして、「ぶれない自分軸」で他者への想いをもった行動がとれる揺るぎない生き方をつくること。ありのままを受け容れると人生はもっと豊かになる。

モーツァルトがモーツァルトらしいのは、自分という軸が決して揺るがず、死ぬまで「自分というもの」を追求し、自分らしく生きたからであると僕は思う。たとえ、他者から絶賛されようが、あるいは酷評されようが微動だにせず自身の音楽を生み出し続けたこと。そして、その結果死の直前にはありえない(当時の一般大衆が理解し得なかったという意味で)高みに達した音楽を創造したこと。

モーツァルト:クラリネット五重奏曲イ長調K.581
レオポルト・ウラッハ(クラリネット)
ウィーン・コンツェルトハウス四重奏団

名作クラリネット協奏曲K.622と双璧を成す、今生へのお別れを告げるかのような「哀しみ」とあの世から回顧するような「現世への憧れ」を秘めた晩年の大傑作。この1曲だけでもモーツァルトは天才の名を遺せたのではないかと思えるほど、その音色、楽想、旋律、すべてが天国的でこの世のものとは思えない美しさだ。名盤は数多いが、最右翼はこのウラッハ盤。ともかく1950年代初頭の古き良きウィーンの薫りを漂わせたこの音盤の価値は後世まで変わることがないだろう。

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