何とも荒唐無稽なストーリーであるものの、「メルヘン」と考えるなら実に面白い。
「3つのオレンジへの恋」。カルロ・ゴッツィの原作からロシア・アバンギャルド演劇のメイエルホリドらが台本化したものをさらにプロコフィエフ自身が脚色を入れた彼の代表作。亡命後のアメリカの大衆を意識しての創作だったらしく、前作「賭博者」に比較し、音楽は易しい。ということは、かのタルコフスキー版「ソラリス」を、より多くの人々に楽しんでもらえるようにスティーブン・ソダーバーグがハリウッド映画として蘇らせたようなものだと考えるのはお門違いか?暗いロシアものを陽気で明快なアメリカ向けの作品に転化する。文化的な深度において、さすがにアメリカはユーラシア大陸の国々には及ばないということを仄めかすようでもある。決して馬鹿にするわけではないが・・・。
作品はプロローグと4つの幕で構成され、2時間弱という舞台。先鋭的なプロコフィエフの旋律やリズムが跋扈し、冒頭から最後の瞬間まで聴衆を飽きさせることなく音楽が続く。前説にあるように、この作品は悲劇のようでもあり喜劇のようでもある「メルヘン」だ。とはいえ、さすがはプロコフィエフ。様々なメタファーにも溢れる。
王子の妻になるはずだったニネットと入れ替わったスメラルディーヌを、マリアンナ・クリコヴァが見事な演技と歌唱で演じているのだが、何より気になったのは、台本上はこの役が黒人奴隷だということ。すなわち、アメリカでの上演を目論んだこの作品中に「黒人奴隷」が登場し、彼女は最終的にニネットの復活とともに逃げ回り、地底に姿を消すという流れになっていることが興味深い。しかも、王子は「こんな黒人とは結婚しない」という、とてもストレートな差別的発言を繰り返す。
1920年、30年代の合衆国において黒人差別はあからさまだった。そして、当たり前だったということだ。マイルス・デイヴィスが死ぬまで拘ったことからもわかるように、水面下ではおそらくつい最近までそういう傾向があったのだろう。もちろん僕たちはそのことを文献の上でしか知らない。当事者でないとわからない感情であるが、オペラのようなどちらかというと大衆に受け入れられてなんぼという芸術には、作曲当時の社会背景や創造者の思想が見事に反映され、しかもそれが容易に読み取れることが面白い。
ネーデルラント・オペラ2005
プロコフィエフ:歌劇「3つのオレンジへの恋」作品33
アラン・ヴェルヌ(クラブの王、バス)
マルシャル・ドゥフォンテーヌ(王子、テノール)
ナターシャ・ペトリンスキー(クラリスの王女、アルト)
フランソワ・ル・ルー(レアンドル、バリトン)
セルゲイ・ホーモフ(トルファルディーノ/式部官、テノール)
マルセル・ボーヌ(パンタロン、バリトン)
サー・ウィラード・ホワイト(魔術師チェリオ、バス)
アンア・シャアジンスカヤ(ファタ・モルガーナ、ソプラノ)
サンドリーヌ・ピオー(ニネット、ソプラノ)
マリアンナ・クリコヴァ(スメラルディーヌ、メゾソプラノ)ほか
ネーデルラント・オペラ合唱団
ステファン・ドゥネーヴ指揮ロッテルダム・フィルハーモニー管弦楽団(2005.6Live)
ロラン・ペリ(演出&衣装)
初演時のフランス語版を採用。
衣装や舞台装置はモダンでありながら、おそらく原作に忠実なのでは?
物語の設定がそもそもSF的なので演出そのものに全く違和感のないところが良い。昨今の演出過剰、あるいは奇を衒った演出にはまったく閉口するが、この舞台は視覚的にも聴覚的にも成功だと僕は思う。
ちなみに、ファタ・モルガーナを演じるアンア・シャアジンスカヤが圧巻。風貌も声量も申し分なし。
国王を演じるアラン・ヴェルヌも威厳に満ちる。そして、王子役のマルシャル・ドゥフォンテーヌは巧い。
それにしても、プロコフィエフの音楽は聴けば聴くほど「鋼鉄」のよう。
人気ブログランキングに参加しています。クリックのご協力よろしくお願いします。
[…] この寓話は、いかにも荒唐無稽な展開だが、鬱病の王子をいかに笑わせるかが一つの大きなテーマになっている点が肝だと僕は思う。冷えが万病のもとであり、冷えに正しく対応できる […]