ペレーニのコダーイ 無伴奏チェロ・ソナタほか(2001.6録音)を聴いて思ふ

ミクローシュ・ペレーニのチェロ。
それを「質実剛健」というのかどうかはともかくとして、音に乾きなく、楽器は歌い、音楽は常に潤う。聴き手の魂と共鳴する音色。確かにチェロの音は人間の声の周波数に近いのだろう、どの瞬間も感性を刺激する。

ゾルターン・コダーイの音楽。民俗色豊かな、どこか野趣あふれる音調と、そうはいっても都会的センスをあわせ持つ波動。不思議にお洒落なのである。

ベラ・バルトークの「コダーイ論」(1921)を引こう。

彼の芸術は私のそれと同様、ハンガリーの農民音楽と新しいフランス音楽の二つに根を持つ。ただ、共通の土壌から生まれたにせよ、われわれ二人の音楽はごく最初の段階からすでに互いに全く異なっていた(悪意や無知によってしか人はコダーイを「模倣者」と見なせないだろう)。彼を攻撃する人々の中には、彼の音楽が私のものと比べて力強さに欠け、独創性に乏しい、などと叱る者もいる。われわれ二人の間に見られる様式上・内容上の相違について正確に書き記すのは、私の課題ではない。たしかに、コダーイの音楽はさほど「攻撃的」ではないかもしれないし、形式に関して、様々な伝統からさほど離れてはいないかもしれない。またそれは「抑制なき饒舌」というよりは、むしろ落ち着いた瞑想を表現しているかもしれない。しかし、まさにこうした本質的な違いが、彼の音楽においては全く新しい、全く独創的な音楽的思考となって現れるのであり、それこそが音楽を通じて彼が言わんとすることをあれほどまでに尊いものへと高めているのだ。
ベーラ・バルトーク/伊東信宏・太田峰夫訳「バルトーク音楽論選」(ちくま学芸文庫)P176-177

いわばバルトークのコダーイ擁護論だが、現代の僕たちには、コダーイの音楽がバルトークに比して劣るものだという認識はない。彼の音楽は、それこそバルトークが予見するように「全く新しい、全く独創的な」ものだとはっきり肯定できる。

・コダーイ:エピグラム(1954)
・J.S.バッハ(コダーイ編曲):平均律クラヴィーア曲集第1巻第8番(1951)
・コダーイ:無伴奏チェロ・ソナタ作品8(1915)
ミクローシュ・ペレーニ(チェロ)
デーネシュ・ヴァーリョン(ピアノ)(2001.6録音)

憂愁と懐古。情景というより心象。実に素朴な内面がチェロで歌われる小品集「エピグラム」は、コダーイの内面吐露であり、また(作曲者直伝による)ペレーニの内面発露でもある。あるいは、コダーイ編曲のバッハの妙なる慈しみの表情に、バッハの音楽の永遠を思う(峻厳な四角四面のフーガに筆舌に尽くし難い光が射し込み、円満を形成するよう)。
白眉はやっぱり無伴奏チェロ・ソナタ!!第1楽章アレグロ・マエストーソ・マ・アパッショナート冒頭の、激烈な歌が心に沁みる。そして、作曲が第一次大戦中であったからなのか、第2楽章アダージョの底知れぬ哀感(暗澹たる音調と爆発的な音調の対比とカタルシス)が、魂の覚醒を呼び起こす(ここでのペレーニの没入ぶりは半端ない)。終楽章アレグロ・モルト・ヴィヴァーチェは、まさに「ハンガリー農民音楽」に影響されたであろう舞踊が、超絶技巧によって繰り広げられる、ペレーニの真骨頂。土俗的でありながら何という美しさ。

ハンガリーの民俗音楽研究がどれだけ彼に負っているかは、当該分野の専門家たちがよく知っている。探究心、粘り強さ、堅実さ、知識の深さ、そして洞察力によって、コダーイはハンガリー農民音楽を隅々から知るただ一人の人材となった。この領域で彼と肩を並べられる者は一人もいない。
~同上書P179

ゾルターン・コダーイは努力家なのだ。

 

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