抹香臭いと思いきや、意外に溌剌と俗っぽい音調を持つのがブラームスのオルガン曲。あくまで僕の感性に拠るところの独断だけれど。もちろん彼は、一般の欧州人同様、キリスト教への信仰は(たぶん)篤かった。敬虔な精神が音楽に根付いていないはずはない。
リヒャルト・フェリンガーによるヨハネス・ブラームス像。
当時堅信礼のための講座を受けていた私は、ウィーンのプロテスタント改革教区の最高位にあったシャルル・アルフォンス・ヴィッツ博士に心酔してしまい、あげくの果てには牧師になりたいと言い出す始末である。困った両親は、ブラームスに相談してみる。すると銃撃のような答えが返ってきた。
「でも彼は別に制約されているわけじゃないんでしょう?」—この発言に二人が唖然としていたら、ブラームスはもう一度同じ言葉を強調した。「いいですか、僕が言うのは、他の点で制約を受けることはないという意味ですよ」。
~ホイベルガー、リヒャルト・フェリンガー著/天崎浩二編・訳/関根裕子共訳「ブラームス回想録集②ブラームスは語る」(音楽之友社)P243-244
司祭の結婚が許されないカトリックとは違うということである。
信仰篤いがゆえの制約を嫌うブラームスのある意味冷静さ。何だかとてもよくわかる。いかにも堅牢な、閉じられたような印象の作品を書きながら、そもそも彼の魂はいつも自由に飛翔していた。
ブラームス:オルガン作品全集
・前奏曲とフーガイ短調(1856)
・前奏曲とフーガト短調(1857)
・フーガ変イ短調(1856)
・コラール前奏曲とフーガ「おお嘆き、おお心の苦しみ」(1856)
・11のコラール前奏曲作品122(遺作)(1896)
—第1曲「わがイエス、われを導きたまえ」
—第2曲「心から愛するイエス」
—第3曲「おおこの世よ、私は汝より去らねばならぬ」
—第4曲「わが心の切なる喜び」
—第5曲「おお愛する魂よ、汝を飾れ」
—第6曲「おお、いかに喜びに満ちたるか汝ら信仰深き者」
―第7曲「おお神よ、汝いつくしみ深き神よ」
—第8曲「一輪のばらは咲きて」
—第9曲「わが心の切なる願い」
—第10曲「わが心の切なる願い」
—第11曲「おおこの世よ、私は汝より去らねばならぬ」
・フーガ変イ短調(1856)
・コラール前奏曲「おお嘆き、おお心の苦しみ」(1856)
ケヴィン・ボウヤー(オルガン)(1989.11.6-9録音)
1896年5月20日に亡くなったクララ・シューマンを悼み、そして彼女を失った悲しみを癒すべく生み出された11のコラール前奏曲(遺作)の静けさと安寧。
死というものによって真の幸せを獲得するといわんがばかりの11曲。第2曲「心から愛するイエス」の、あまりに息の長い最終和音に心動く。あるいは、第8曲「一輪のばらは咲きて」の幸福感はいかばかりか。
ブラームスは、ワーグナーの手紙をまだまだ持っているという。さらに《タンホイザー》のパリ版、一場のオリジナル・スコアも法的な所有権はないのに、タウジヒから譲り受けていた。コージマたちがどんなに頼んでも返却しようとしないで、結局ワーグナー本人が、「息子に残したいから」という手紙を書いてきた。するとブラームスは代わりを所望する。ワーグナーはしょうがなく《ラインの黄金》のスコアを自筆の献辞つきで送ってきた。ブラームスはお礼の返事を書く。
「《ワルキューレ》の方が良かったのですが、まあ《ラインの黄金》もあなたの作品には違いないですからね」
ブラームスはワーグナーと交流があったのを、ハンスリックには内緒にしていた。
~同上書P104
何と興味深い!ブラームスとワーグナーは決して険悪な仲ではなかったことが喜ばしい。対立していたのは、まるで宗教の様に取り巻きたちだったのである。
今日の夜は、ブラームスとキリスト教の宗派について話す。彼はどんな宗派も好きでないが、特にカトリックがだめだという。
「教皇に坊さんの独身制・・・こういうのが、どうにもだめなんだ」
~同上書P105
ブラームスの音楽は何ものにも属さない。
デンマークのオーデンス大聖堂のオルガンを使用したケヴィン・ボウヤーの演奏は、生命力に満ちる。
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