ベーム&ウィーンフィル1977東京ライヴ「ブラームス交響曲第2番」を聴いて思ふ

brahms_2_wagner_meistersinger_bohm_vpo086気難し屋のヨハネス・ブラームスの、明朗で素直な面が反映された速筆のニ長調交響曲が僕は好きだ。この作品が生み出された頃の彼は、世間に認められ、しかも愛するクララとの関係も良好で、精神は満たされとても安定していたのだろうと想像する。
ちょうどその頃にヨハネスが認めた手紙には次のようにある。

私は世界で何よりも、また誰よりもあなたを愛しています。
どうか神があなたに新たな苦しみを与えませんように。あなたは、一人の人間の一生には多すぎる苦しみに耐えたのです。
カトリーヌ・レプロン著/吉田加南子訳「クララ・シューマン―光にみちた調べ」(河出書房新社)P289

ブラームスは、腕を痛めたクララのためにバッハのシャコンヌを左手ピアノ用に編曲する。

バッハのシャコンヌは私にとって最も素晴らしい、最も難解な音楽です。ひとつの方式、小さな楽器に「彼」は世界の最も深い思想と、力強い感動を書きこんだのです。私があの曲をもしも作ったと想像してみると、あまりに大きな精神の昂奮と感動に、きっと気が狂ったであろうと思われます。・・・この作品のひじょうに縮小された、しかしよく似た純粋な喜びを創り出す工夫をしました・・・左手だけで弾いてみるのです。・・・どうか試しにお弾きください。あなたのために書いてみたのですから。
(1877年6月、ペルチャッハからのクララ宛手紙)
B・リッツマン編・原田光子編訳「クララ・シューマン/ヨハネス・ブラームス友情の書簡」(みすず書房)P226-227

何という余裕と充実感。言葉の端々に愛が滲み出る。心の安寧こそが傑作を生み出す源泉。同時期に生み出されたニ長調交響曲から醸される幸福感の源はなるほどバッハのかの曲なんだ。

クララがバーデンで夏を過ごしていた時には、彼の「交響曲第2番ニ長調」が届けられた。ウィーンでは、ヴァグナーがひいきにしている指揮者ハンス・リヒターがこの交響曲の指揮をし、人々に知らしめ、この曲に拍手を浴びさせた。ビューローが「3B」ということを言い出した頃だった。
カトリーヌ・レプロン著/吉田加南子訳「クララ・シューマン―光にみちた調べ」(河出書房新社)P291

社会的評価は人の才能を一層際立たせる。人にとって他人から認められるという事実がどれだけ大切なことか。
日本ではその晩年、絶大な人気を誇ったカール・ベームの来日公演の記録。実演の人ベームの音楽が熱い。聴衆の熱狂(すなわち受容)があればこその至芸。

・ブラームス:交響曲第2番ニ長調作品73
・ワーグナー:楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第1幕前奏曲(ゲネプロ)
カール・ベーム指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1977.3.11Live)

全曲を通じて悠々たるテンポに支配され、揺らぐことのない確固とした軸を基本に音楽が力強く進行する。そこには一切の恣意性はなく、ただ無心に音楽に奉仕するベームの姿が想像される。特に、第2楽章アダージョ・ノン・トロッポのコーダの、沈みゆく祈りのパッセージ、そして、愉悦的なのだけれど、決して笑わない第3楽章アレグレット・グラツィオーソの見事さ。そして、終楽章アレグロ・コン・スピリトの溜めて、溜めて、一気に弾ける歓喜の若々しさは、晩年とは思えないベームの真骨頂。

ちなみに、「マイスタージンガー」前奏曲は、途中一度だけ指揮者の声が入るゲネプロだけれど、何という生気に溢れた演奏であるかと息をのむほど。やっぱりベームの実演に触れられなかったのは僕にとって一大痛恨事。

 

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2 COMMENTS

畑山千恵子

今でも、ベートーヴェン、交響曲第6番「田園」、第5番を聴きにいった時のことは忘れられません。シューベルト、交響曲第7番「未完成」、第8番「グレート」もそうです。ベームを聴けてよかった。そんな思いがいっぱいでした。

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