レオン・ボットシュタインのR.シュトラウス「ダナエの愛」を聴いて思ふ

r_strauss_liebe_der_danae069リヒャルト・シュトラウスは天才だ。幼少からモーツァルトやハイドンなどの「古典美」に慣れ親しみ、そして当時ヨーロッパを席巻したワーグナーの洗礼をも余裕で吸収し、独自の音楽パターンを創り上げた。
シュトラウスの最後から2番目のオペラ「ダナエの愛」。その音楽は室内楽的で透明な響きを終始保ち、声楽のアンサンブルも聴かせどころ満載で、少なくとも音楽を聴く限りにおいて上演される機会が少なくあまり人気のないことが解せない。

「コジマの日記」にワーグナーの興味深い言葉があった。ほとんど自己弁護的な言だといえるが、ワーグナーがコジマに語ったこの言葉の意味は実に重い。おそ らくリヒャルト・シュトラウスについても「何がしかの憧れがはたらいており、既存のものへの不満からすべてを自己へと同化する途方もない構想力」があったのだろうと僕はみる。

リヒャルトはこの問題に触れ、天才はあらかじめ運命によって定められているという考え方について語った。「そこには何がしかの憧れがはたらいていなければならない。そして天才自身のうちにも既存のものへの不満がある。天才とは、大いなる力をもってすべてを自己へと同化する途方もない構想力であり、同化される側もこの構想力を求めている。そこから生まれる激しい気質は、みずからの使命しか眼中に入らず、人生を顧みることがない。だから実生活においては役立たずということになる」。
1871年3月5日日曜日
三光長治・池上純一・池上弘子訳「コジマの日記2」(東海大学出版会)P372

「ダナエの愛」然り、ギリシャ神話に傾倒していたシュトラウスにおいては、この神話に対する知識が必須で、ましてやそれにアレルギーを覚える体質ならばそもそも彼の作品、特にオペラを享受することは実に難しい。

ところで、「ペレアスとメリザンド」を書いたモーリス・メーテルランクは、フロイト以前に最初に無意識の概念が生じた人だといわれる。エッセー集「貧者の宝」の「魂の目覚め」の章で彼は次のように書いているそうだ。

それはごく平凡な存在たちの生活の中で絶えず起きる、魂の出来事や介入に関している。・・・従来の心理学は、物質と結びついた最も狭義の精神的現象しか問題にして来ず、プシケという美しい名を侵害しているが、ここで言うのはそれとは全く違った心理学のことである。それは人間の魂と魂との直接的関係や、われわれの魂の感受性、驚くべき実在性を探求する超越的心理学、それが開示してくれるに違いないものを、ここで問題にしているのだ。
村山則子著「メーテルランクとドビュッシー」(作品社)P27

おそらくメーテルランクが「ペレアス」に注ぎ込んだそういう思想は、ドビュッシーの音楽をもってして一層具現化されたのだと思うが、そのメーテルランクが影響を受けたノヴァーリスの言葉にはこうある。

それ(=詩的な意味)とは、表現不可能なものを表わし、見えないものを見、感知できないものを感ずることだ。
~同上書P22

これはほとんどワーグナーの天才についての弁に等しい言葉だと思うが、天才シュトラウスにして、神話で扱われる「目に見えないもの」、少なくとも自身の内においては明らかに感知できているものを一般大衆に「わかってもらうため」に彼はヨーゼフ・グレゴールの協力を得てギリシャ神話をパロディー化したのではないのかと僕は空想してみるのである。
そう、シュトラウスの天才は、この目に見えない詩的な神話を視覚化し、そして「金と女にまつわる下世話な人情劇」に上手に仕立て上げたところだと僕は思うのだ。

リヒャルト・シュトラウス:歌劇「ダナエの愛」作品83
ローレン・フラニガン(ダナエ、ソプラノ)
ピーター・コールマン=ライト(ユピテル、バリトン)
ヒュー・スミス(ミダス、テノール)
ウィリアム・ルイス(ポルックス、テノール)
リサ・サッファー(クサンテ、ソプラノ)
マイケル・ヘンドリック(メルキュール、テノール)
タマラ・メシック(ゼメーレ、ソプラノ)
ジェーン・ジェニングス(オイローパ、ソプラノ)
メアリー・フィリップス(アルクメーネ、メゾソプラノ)
エリザベス・キャニス(レダ、メゾソプラノ)、ほか
ニューヨーク・コンサート・コラール
レオン・ボットシュタイン指揮アメリカ交響楽団(2000.1.16Live)

第3幕を繰り返し聴く。前奏曲のあまりに陽気で愉悦的な響きにシュトラウスの、ワーグナーとは異なる楽観を知る。そして、第3場直前の間奏曲の美しさに恍惚となる。また、続く、貧しいながら幸せなミダスとの生活に感謝を捧げるダナエの歌唱に心動く。幕切れまでのユピテルとのやりとりの音楽はシュトラウスの真骨頂だろう。

ちなみに、比較の対象を持たない僕には、ボットシュタインのこの演奏が的を射たものなのかどうかわからない。しかし、各幕終了後のエイヴリーフィッシャーホールの聴衆の熱狂を聴くにつけ素晴らしい舞台であっただろうことは容易に想像つく。一度実演に触れてみたいものだ。

 

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2 COMMENTS

畑山千恵子

これは、今年、二期会が取り上げることになりそうですので、見に行こうと思います。

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