サロネン指揮オスロ・フィルのグリーグ「ペール・ギュント」(1987.5録音)を聴いて思ふ

エドヴァルド・ムンクにとって死への恐怖や不安、あるいは嫉妬という負の感情は、生きることへの希望につながるいわば起爆剤だったのだろうと、いくつもの実物を観て思った。彼には生きることへの執着が、そして画家としてのプライドが誰よりも強く、そのことによってあの激烈な、そして時におどろおどろしい風趣の絵画がいくつも生み出されたのだろう。そうでないと、同じテーマの作品が手を変え、品を変え、創造されたことの説明がつかない。

ムンクは自身の感性に従って生き、そして世界に、公衆に迎合するのでなく芸術を創造した。ヘンリック・イプセンについても同様。

イプセンは新しい言葉と大胆な思想の偉大な創造者である、イプセンは刷新された人類の預言者である、イプセンは未来の精神的指導者である・・・そして、この回想録でなおあれこれと称されている人物である。このイプセンには、小市民的環境を生き生きと描きだす偉大な作家としてのイプセンの100分の1の意義も、1000分の1の意義もない。否定の芸術家、「偉大なマイナス」としてのイプセンは、預言する象徴主義者、指導者としてのイプセンよりもはるかに高いところに立っている。
トロツキー/中島章利・西島栄・志田昇訳「イプセン論」

ほら吹きペールの冒険譚。漠としながらも大望を抱き世界を旅する彼は、素っ頓狂な行動により世間から顰蹙を浴びること多々。とにかく自分がやりたいようにやるという欲望のままに動くという生き方。彼は自分というユニークさを、世間に飲み込まれ、破壊しまいと奔走した。ただし、彼には自分が何たるかはわかっていなかったのだが。ムンクが求めたものも同様のものかもしれない。

イプセンは、本来舞台にかけるつもりのなかった「ペール・ギュント」を舞台化するにあたり、若きエドヴァルド・グリーグに付随音楽の作曲を委嘱した。その音楽は浪漫に満ち、悲哀や喜びの感情表現豊かで、耳障りも良く、実に美しい。

・グリーグ:劇付随音楽「ペール・ギュント」作品23(抜粋)
第1幕
—第1番前奏曲「婚礼の場で」
—第2番「花嫁の行列の通過」
—第3番a「ハリング舞曲」
—第3番b「跳躍舞曲」
第2幕
—第4番前奏曲「花嫁の略奪とイングリの嘆き」
—第7番「ドヴレ山の魔王の広間にて」
—第8番「ドヴレ山の魔王の娘の踊り」
第3幕
—第10番前奏曲「深き針葉樹林の森」
—第11番「ソルヴェイグの歌」
—第12番「オーゼの死」
第4幕
—第13番前奏曲「朝の清々しさ」
—第15番「アラビアの踊り」
—第16番「アニトラの踊り」
—第18番「ソルヴェイグの歌」
第5幕
—第19番前奏曲「ペール・ギュントの帰郷」
—第20番「小屋のソルヴェイグの歌」
—第22番ペンテコステの讃美歌「祝福の朝なり」
—第23番「ソルヴェイグの子守歌」
バーバラ・ヘンドリクス(ソプラノ)
オスロ・フィルハーモニー合唱団
エサ=ペッカ・サロネン指揮オスロ・フィルハーモニー管弦楽団1987.5.15-17録音)

初演当初、音楽の前時代的浪漫性に、イプセンの真意との乖離に批判が多くみられたようだが、しかし、グリーグのわかりやすい、そして美しい旋律であったがゆえ、現代にまで聴き継がれてきたのだと僕は思う。抜粋とはいえ、ほぼ全曲を網羅するこの音盤を聴けば聴くほど、どこかで聴いたことのある、懐かしい音楽に惹かれるのだ。

いまだ手探りの、否、一生懸命の、しかし、精緻な外面を磨き上げる若きサロネンの造形。「オーゼの死」に発露する哀しみに心動き、また、「ソルヴェイグの歌」におけるヘンドリクスの深みのある歌に涙するのである。グリーグの音楽は決して古びない。そこには独自の革新があるから。

生きることは、すなわち創造だ。
創造力を掻き立てる想像力こそが鍵。
ムンクも、イプセンも、もちろんグリーグも、ノルウェーが生んだ天才。

 

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