
「指環」全曲(幕ごとのコンサート形式)演奏会のきっかけになった、前年の楽劇「神々の黄昏」第3幕のコンサートの記録。キルステン・フラグスタートの唯一無二たるブリュンヒルデの絶唱に言葉がないが、翌年の全曲演奏においてブリュンヒルデを歌うのはマルタ・メードルゆえ、このあたりの事情がどうなっていたのか知りたいものだ。

まだ決定ではないが、私は公衆の前で歌う最後の日を1953年12月12日にしようとほぼ決めている。場所はオスロの国立歌劇場になるだろう。それは、私がちょうど40年前の同じ日にデビューした場所である。だから、その同じ場所で歌手としてのキャリアにピリオドを打とうと考えているのだ。これほどすてきな終わりはないだろう。私は自分のキャリアを、私がこよなく愛する国で、愛する国民に囲まれて、それがスタートした場所で終わらせたいのだ。
~ルイ・ビアンコリ/田村哲雄訳「キルステン・フラグスタート自伝 ヴァグナーの女王」(新評論)P418
おそらく彼女が引退を決意した後に契約の話が上がってきたのかもしれない。
いずれにせよ、1953年のローマ「指環」においても、ローマの聴衆はフラグスタートのブリュンヒルデを聴きたかったのではないかと想像する。

さすがにライヴの、しかもフルトヴェングラーとの共演のときのフラグスタートは違う。ワルター指揮ニューヨーク・フィルとのカーネギーホールでのライヴも素晴らしいが、やっぱり音楽の魔性の突出はフルトヴェングラーならでは。まして、相手がローマの放送局オーケストラであり、まだまだワーグナー音楽に慣れないローマの聴衆なのにもかかわらず、ほとんど手兵のベルリン・フィルやウィーン・フィルを振るのと相違ないのだからすごい。
久しぶりに耳にして、僕はやっぱり卒倒した。(冒頭の管弦楽部から厳かな、意味深げな音楽に感激する)(例のフィルハーモニアとの正規録音の3週間前!)
・ワーグナー:楽劇「神々の黄昏」第3幕から「ブリュンヒルデの自己犠牲」
キルステン・フラグスタート(ソプラノ、ブリュンヒルデ)
ヨーゼフ・グラインドル(バス、ハーゲン)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮RAIローマ交響楽団(1952.5.31Live)
第3幕全曲(演奏会形式)からの抜粋ゆえ、ハーゲンの最後の「指環から離れろ!」まで入っていて、臨場感抜群!オーケストラによる後奏の素晴らしさ!(残念ながら全曲盤は未入手ゆえ未聴)
物語の流れの中でのこの終曲の凄まじさは他のいかなる演奏をも冠絶する。
にもかかわらず、なぜ私がこのような演奏旅行をなおも続けるのか、また、なぜ私は演奏旅行がそれなりに私たち音楽家にとって積極的な意義をもつと信じているのか。その理由は、上述のように、今日の演奏にとっては熟練の危険ほど大きな危険はないと考えるからである。私の課題とは、自分の演奏する作品を、あたかも私自身がそれにはじめて接するかのように生き生きと再現することにほかならない。私は、極力、この作品がひろく世に知られたものだという印象を取り去るように努め、惰性に陥ろうとする一切の可能性を避けようと試みる。もし私が時代からの支持を得るならば、音楽が私の手によって音楽の本来あるべき姿、すなわち真の共同体験になるという満足を味わうことであろう。
「演奏旅行について」(1952年)
~ヴィルヘルム・フルトヴェングラー/芦津丈夫訳「音楽ノート」(白水社)P158-159
フルトヴェングラーの指揮する音楽が常に「新しい」のはこの理由からだろう。
何事も常に「新生」であることが大切だ。
