風が滅法冷たい夜。
凍てつくような寒さは、人恋しさを募らせる。
そういうときはあえて孤独を選ぶが良い。逆療法だ。
自由に、しかし孤独に。ヨハネス・ブラームスの座右の銘。
だが、あそこにいる、あれは誰だろう?
その姿はやぶのさ中に消えてしまった、
彼の背後で、
灌木は枝を組み合い、
草は再び立ち上がって、
荒野が彼をのみつくしてしまった。
(ゲーテ/西野茂雄訳)
失恋の痛手。鬱積された思いが、これほどまでに美しく音化された作品が他にあろうか。「ゲーテの『冬のハルツの旅』からの断章」、通称「アルト・ラプソディ」。ナタリー・シュトゥッツマンの歌が虚しく、同時に力を持って響く。
ブラームスは自ら自分を「孤独」に追いやった人。ならば、先の銘はあくまで自虐的な一節ともとれる。本当は人一倍寂しい人だ。それは、音を聴けばわかる。
ブラームス:
・合唱と管弦楽のための「運命の歌」作品54(1992.3.30-4.4録音)
・アルト独唱、男声合唱と管弦楽のためのラプソディ作品53(1992.3.30-4.4録音)
・「悲歌」作品82(1992.3.30-4.4録音)
・「運命の女神の歌」作品89(1992.3.30-4.4録音)
・「マリアの歌」作品22(1992.2.22-23録音)
ナタリー・シュトゥッツマン(コントラルト)
サー・コリン・デイヴィス指揮バイエルン放送交響楽団&合唱団
(無伴奏混声合唱のための)「マリアの歌」は、人の声の無限さを教えてくれる絶品。アガーテ・フォン・ジーボルトとの恋の終りとともに、ヨハネスにはマクロ・コスモスとミクロ・コスモスの邂逅、あるいは一体が起こったのかどうなのか、人間的な響きの内側にある宇宙的拡がりと、有限の人生の中にある悠久の時間の錯綜が見事に表現される。たぶん源は慈悲の心だ、信仰だ。
私はあなたを愛している。私はもう一度あなたと会わなければならない。しかし、私は束縛されることはできない。私があなたのもとに戻って、あなたを私の腕で抱きしめることができるかどうか、お手紙でお答えください。
(1859年1月頃、アガーテ・フォン・ジーボルト宛手紙)
~西原稔著「作曲家◎人と作品シリーズ ブラームス」(音楽之友社)P60
良くも悪くもブラームスの人間らしさが垣間見える手紙。
よく考えると、「自由に、しかし孤独に」とは実に身勝手な言葉だ。しかし、そういうエゴイスティックな側面があるからこそ芸術というものが成り立つのだともいえる。人間とは何て愚かなのだろう。
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