
アントン・ブルックナーは、尊敬するリヒャルト・ワーグナーの死を予感し(?)、交響曲第7番ホ長調を書いたといわれるが、実際のところは、7番作曲の最中にワーグナーの訃報を聞き、第2楽章アダージョの荘厳なる葬送的コーダを追悼の意味で付加したというのが真相だ。元々の楽想が鎮魂に相応しいものだったことも幸いするが、それが偶然なのか、作曲家の無意識の意図があったのか、それはわからない。
(こういう天才にあっては、予感どころか、無意識下でつながる偉大な力からインスピレーションを受けているだろうことは間違いない)
ドミトリー・ショスタコーヴィチの場合も、盟友ソレルチンスキーの死に遭遇する前からピアノ三重奏曲第2番を書き始めていたというのだから面白い(ただし、彼の場合は、作曲の方針を転換して、その後に追悼曲としたのだが)。
ただ、ここで率直に事実を見つめると、ピアノ三重奏曲の作曲をとおした自罰行為が、少し変則的な形で生じていることが理解される。なぜなら、ショスタコーヴィチは、ソレルチンスキーの死に先立つおよそ2ヶ月半前の12月上旬にすでにこの曲に取り組んでいるからである。その時点で構想していたピアノ三重奏曲は、「ロシア民謡」を下敷きにした音楽だったが、ソレルチンスキーの死をきっかけに彼はこの曲に取りこもうとしたアイデアなりコンセプトを一変させた。当時、グリークマンに宛て、「室内楽は作曲家にもはやまったく非の打ちどころのない技術と思考の深さを要求する」ので、「室内楽の作品を書くことは、管弦楽曲の作品を書くよりもはるかに難しいのです」と書いている。ソレルチンスキーの死をとおして、彼は図らずもみずからの「思考の深さ」を発見したということだろうか。
~亀山郁夫「ショスタコーヴィチ 引き裂かれた栄光」(岩波書店)P286
「自罰行為」とは、二枚舌を「一」に還元する手立てを、テクストの深層においてではなく、みずからの安全地帯を確保してから実現して見せるやり方を指すようだ。
何にせよ、見え見えの、狡い方法だ(すべては計算の中にあった)。
果たしてコンセプトは一変されたのか?
音楽の背景にある思想やコンセプトはもはやどうでも良かろう。
特にソヴィエト音楽に関しては、必ず何らかの思想が刻印されているのは間違いない事実だろうから。それよりも、もはや一人歩きする芸術たる音楽を、逸品を、ただ無心に鑑賞することの方が大切だ。
無性に悲しくなる。
この、ただならぬ哀感を見事に描き上げる2つの三重奏曲を、壮年のアルゲリッチとクレーメル、マイスキーという奇蹟のトリオが美しく、そして丹誠に創造する瞬間をこの目で、直に観ることができたのだから僕は本望だ(今となってはこのトリオの復活はないだろうから)。
マルタにとってクレーメルはシゲティの遺産の体現であり、弛まず新しい響きやアイディアを追求する大胆な音楽家だった。ギドン・クレーメルいわく、マルタとの関係はひじょうに高度なレベルで相互に聴きあうことが大きな柱になっているという。「彼が私を刺激してくれるのよ」とマルタが訂正を入れる。あるジャーナリストが気が利いたことを言いたかったのだろうが、あるときギドン・クレーメルに“男の手”を持っているピアニストと弾くのは怖くないかと訊いた。ヴァイオリニストは巧妙に返答した。「どうってことはない。だって私は女の心を持っているからね」二人はつい最近もツアーでバルトークのソナタ第1番をふたたび取りあげ、炎とたぐいまれなイマジネーションで演奏した。これは彼らがまだすべての魔法を探求しつくしていないという証拠だ。
~オリヴィエ・ベラミー著/藤本優子訳「マルタ・アルゲリッチ 子供と魔法」(音楽之友社)P233
クレーメル&アルゲリッチのシューマン&バルトークを聴いて思ふ
脱力
アルゲリッチとクレーメルは2000年代前半にはそんなことを言い合う仲だったが、いつの間にか袂を分かったという噂も聞く。(恐らく)気性の激しい芸術家同士の、意見の相違なのか、ただの気紛れなのか、それはわからないが、いずれにせよこの演奏を聴いてみて思うのは、マイスキーが中和剤になっているということだ。
ロシアという大国の、長い歴史の中での、混沌とした因縁の中で花開く甘美な、そして憂い溢れる旋律をチャイコフスキーが、そして一方、長らく圧しつけられた鬱積する情感を一気に噴出せんとする諧謔をショスタコーヴィチが完璧に映し出し、そしてかの3人の天才たちが美しく再現する様子に、やっぱり時空を超えて種をまくことの大切さを思う。
台風一過

