尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団第51回東京定期演奏会

尾高渾身のエドワード・エルガー。
渦巻く音楽がいまだ頭を離れない。

交響曲第1番変イ長調(1908)。第1楽章序奏アンダンテ、モットー主題から温かい、安らぎの音。弦が泣く。全曲にわたってしばしば顔を出すこの主題は、作曲者の「愛」の化身なのか、どうなのか。怒涛の、疾風の人生の、喜びも悲しみも、あらゆる感情が交錯する時間の中で、彼にとって唯一の憩いの場は、まさに妻アリスの愛そのものだったのだろう。「ノビルメンテ・エ・センプリーチェ」と指定されたあの美しい旋律こそアリスその人だ、あるいは、愛そのものだ。また、主部アレグロに移る瞬間のワクワク感。時間の移ろいと都度の音調の変化をオンタイムで体感することこそ音楽を聴く愉しみだと僕は確信した。

複雑な動きを見せる作品こそ、時間と空間を共にして享受するべきだ。循環形式とはいかに人の心を煽動するものであるか。エネルギーとパッションが、あるいは崇高な祈り、そして粘着質の愛撫が、ここぞとばかりに発せられる。指揮者はエルガーの音楽を心から愛しているのである。息の長い第3楽章アダージョの、得も言われぬ情感に僕は思わず震えた。そして、間髪置かずに奏された終楽章レント—アレグロは、ブルックナーの終楽章にも負けず劣らずの「音の大伽藍」。ここにある闘争も、柔和で平和な音楽も、すべては一つに収斂され、荘厳な響きの裡に幕を閉じるのである。縦横に手が動く、身体を十分に使っての尾高の指揮姿に僕は感動した。終演後の、聴衆の喝采と熱気にも興奮した。

大阪フィルハーモニー交響楽団
第51回東京定期演奏会
2019年1月22日(火)19時開演
サントリーホール
・武満徹:トゥイル・バイ・トワイライト~モートン・フェルドマンの追憶に
・ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番ト短調作品26
~アンコール
・パガニーニ:24の奇想曲作品1~第24番イ短調クワジ・プレスト
休憩
・エルガー:交響曲第1番変イ長調作品55
神尾真由子(ヴァイオリン)
崔文洙(コンサートマスター)
尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団

確か大阪フィルのコンサートは17年ぶり。当時の団員の姿もちらほら見えるが、何もかもが変わっていた。当然だけれど。
コンサート冒頭、チューニングから弦楽器群の勢いが違う。
相変わらずの武満の、あの世とこの世をつなぐ能楽のような、神妙な音楽「トゥイル・バイ・トワイライト」(1988)に僕はやられた。なるほどこれは、モートン・フェルドマンのための追悼音楽なんだ。灼熱の金管群のコラール風(?)咆哮に僕はのけ反った。しかし何より、消え入るように、いつの間にか終わる音楽の、あの最後の瞬間にこそ尾高忠明のすべてがあった(神がかり的)。

そして、神尾真由子をソリストに迎えてのブルッフ(1864)は見事な歌謡曲(もちろん良い意味で)。神尾は自由に、そして集中力をもって音楽に対峙した。一方、尾高は弾けるときには弾けるが、引くときには引き、ソリストを見事に援護。何と美しい、また陽気な協奏曲であったことか。名曲だ、名演だ。
ちなみに、神尾のアンコールはパガニーニ。切れ味抜群、コクもしっかり。ため息もれる素敵なソロ。

ところで、終演後、ステージを去る前、尾高さんは聴衆に向かってこうおっしゃった。

このサントリーホールは素晴らしい会場です。しかし、私たちの大阪フェスティバルホールも素晴らしい会場です。

僕は、残念ながら改修後のフェスティバルホールを知らない。
何だか呼ばれているような気がした。

 

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