ベートーヴェン四重奏団のショスタコーヴィチ第2番(1956録音)ほかを聴いて思ふ

芸というものの奥深さ、本懐を垣間見る。

僕は小さい頃、よく、父がどうやって音楽を作り出すのか観察したものです。父は机に向かって作曲します。僕は父の五線紙を持ってきて、父のまねをして、シッポのついたおたまじゃくしをいっぱい書き始めます。それから父のところへ行って「ねえ、パパ、僕の書いたのを弾いてみて」と言うんです。父は黙ってピアノの前に座り、文字通り子どもの落書きから生まれた「音楽もどき」を弾いてくれました。もちろん、そんな曲、僕には気に入りませんでした。父は僕が書いたままを演奏したのですから。父は僕にこんなふうに言ってきかせるのです。「いいかい、本物のすばらしい音楽を作るには、長い間かかって辛抱強く勉強しなくてはいけないんだよ。」「で、どうすればいいの?」という僕の質問には決まって、「まず、手始めに変奏曲を書いてごらん」と答えたものです。
ミハイル・アールドフ編/田中泰子監修「カスチョールの会」訳「わが父ショスタコーヴィチ―初めて語られる大作曲家の素顔」(音楽之友社)P51

変奏曲こそが耳と腕を鍛える上で最善の方法なのだとショスタコーヴィチは言うのだ。確かに、モーツァルトにせよベートーヴェンにせよ、あるいはブラームスにせよ天才といわれる音楽家は皆、変奏曲を得意とした。

僕が思うに、お笑いの世界も同様。昔、桂三枝の司会で「ヤングおー!おー!」という毎日放送制作のバラエティ番組があり、中で大喜利「あたかも読書」というコーナーがあった。白紙の本を片手に、三枝が決めたお題に合う内容を順番に即興で話すというものだったが(この方法はまさに変奏そのもの)、功成り名を遂げた明石家さんま曰く、それこそ芸人としての話術が最も身に付いた格好の訓練の場だったそう。

ショスタコーヴィチ:
・弦楽四重奏曲第1番ハ長調作品49(1960Live)
・弦楽四重奏曲第2番イ長調作品68(1956録音)
ベートーヴェン四重奏団
ドミトリー・ツィガノフ(ヴァイオリン)
ワシリー・シリンスキー(ヴァイオリン)
ワディム・ボリソフスキー(ヴィオラ)
セルゲイ・シリンスキー(チェロ)

親友ソレルチンスキーの追悼のために書かれたピアノ三重奏曲と並行して作曲された弦楽四重奏曲イ長調作品68。初演は1944年11月14日、ベートーヴェン弦楽四重奏団による。さすがに初演者だけあり、決然たる音調と速めのテンポ、その音楽は堂に入る。第1楽章序曲モデラート・コン・モート提示部の懐かしさ。何より主題と22の変奏による終楽章の変幻自在は、天才ドミトリーの真骨頂。作曲者への深い愛情が刻まれたお手本の名演奏だ。

そして、モスクワ音楽院小ホールでの実況録音である弦楽四重奏曲ハ長調作品49。
第1楽章モデラートの、ショスタコーヴィチにしては珍しい親しみやすく明朗な旋律に思わず心が躍る。また、いかにもショスタコーヴィチのスケルツォ第3楽章は相変わらずアイロニーに満ちる。あるいは、快活な終楽章アレグロの生命力!

父がドアから顔を出して言います。
「誰が赤鉛筆を持ってったんだ?」「おい、パパの定規はどこだ?」
私とマクシムはどぎまぎして顔を見合わせると「紛失物」を探しはじめるのです。
モスクワでも別荘でも同じようなことが何度もありました。ご存じのように、父はピアノなしで作曲しました。机に向かい、楽譜を書くのです。そこが特別静かでなくっても平気なのです。犬が吠えようが、車が通りすぎようが・・・ただひとつ、父がいらだつのは「未整頓」、つまり、あるべきところにあるべきものがない時です。父の仕事机には鉛筆が数本、万年筆が一本、定規が一つ・・・そんなものがのっていましたが、マクシムと私は父のところからしょっちゅうこの必需品を拝借してきたのです。
~同上書P49

実の息子、娘の証言は実に興味深い。几帳面なドミトリー・ショスタコーヴィチ。

 

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