自分を知るには外の世界を知らねばならない。
客観性は、外の視点を得たときにこそ生まれるものだ。
恐れず、殻を破って外に出よう。
音楽そのものは宮廷の雅びなものから野蛮なものまで、また幾分甘ったるく都会的なものから刺々しく暴力的なものまで変化する。陽気さは、底流にある悲劇性によっていっそう強烈になる一方、瞑想的な憂鬱さは、時として外向的で芝居がかった情熱の奔流に圧倒される。スカルラッティはスペインで暮した自らの人生を、特に好んで表現した。彼がソナタで創造した小宇宙の中には、スペインの生活、あるいはスペインの大衆音楽や舞踊のあらゆる側面が見いだされる。いかなるスペインの音楽家、マヌエル・デ・ファリャでさえも、外国人であるスカルラッティほどにその母国の本質を完璧に表現した者はいない。彼はカスタネットのカタカタという音、ギターをかき鳴らす音、弱音布を付けた太鼓のドンという曇った音、ジプシーの哀歌の荒々しく苦い叫び声、村の楽隊の圧倒的な陽気さ、そして何よりもスペイン舞踊の鋼線のような緊張感をうまく捉えている。
~ラルフ・カークパトリック著/原田宏司監訳・門野良典訳「ドメニコ・スカルラッティ」(音楽之友社)P132-133
創造の源流を垣間見るドメニコ・スカルラッティのソナタたち。
陰陽の対比をうまく捉えた単一楽章の各々の音楽が、数百年後の僕たちの心を捉えるのである。外国人であるがゆえに見える本質の抽出に卓越した創造者の作品はやっぱり永遠だ。
夜更けに孤独に聴くチェンバロの音色は、とても刺激的で、またとても神々しい。
スコット・ロスがエイズのため若くして亡くなって早30年が経過する。奏者は死んでもその音楽は永遠に生き生きと、そして鮮烈な輝きを放ち続けるもの。
情熱の発露。陽気な響きの内側にあるのは、ときに哀しみ、ときに怒り。単色の音楽でありながら、これほど様々な感情が蠢く作品は他にない。
スペインには、四季折々に美しい表情を見せる癒しの風景がいつもあるという。
大自然の移り変わりと同化する人々の心に迫る音楽にも当然同様の変化がしばしばあるのだ。