醒めているのになぜか熱い音。
情緒的だけれどなぜか冷静な音。
これこそ真の二枚舌的表現。マルタ・アルゲリッチの奏でるショスタコーヴィチの真と偽。空想的でありながら地に足着き、現実的でありながら宙ぶらりん。イデオロギーを超えた、これ以上の演奏は他には見当たらない。
個性的でありながらメンバーと一体化するのが彼女の常。
押しては引き、引いては押す魔法。世界は何と新鮮で瑞々しいのだろう。
長男マクシムのために作曲された小協奏曲(1953)の明朗さ。挑戦的なマルタのピアノに、刺激を受け、圧倒的な解放を示すジルベルシュタインのピアノの織り成す幻想世界。2台ピアノは、マルタ・アルゲリッチの真骨頂。
アルゲリッチの求心力の成せる業なのか、臨時編成のクインテットとは思えぬアンサンブルの妙。ピアノ五重奏曲はスターリン賞を得たものの、当時の舞台裏では、様々な葛藤、問題がひしめいていたようだ。
D・ショスタコーヴィチのピアノ五重奏曲は、不健全な興奮を周囲に撒き散らしています。その上、これは本質的に西側志向のきわめて強い作品です(西側の現代作曲家の作品のようであるということです)。プラウダの編者たちは過ちを冒しました。それは、その五重奏曲が「文句なく1940年の最優秀作品」であり、ショスタコーヴィチは「古典作品から得た技術を、どのように駆使するかという我々の論議に、実例をもって明瞭に答えた」新古典主義者であると喧伝する記事を発表したからです。
~ローレル・E・ファーイ著 藤岡啓介/佐々木千恵訳「ショスタコーヴィチある生涯」(アルファベータ)P159
モイセイ・グリンベルグのスターリン宛告発状は、今となっては狭量な、偏った思想のもとに繰り出されたある種の愚痴に過ぎないが、人間というものがいかに環境に左右される生き物であり、世界に生かされている存在であったかを物語る好例だ。20世紀は、そもそも人間が人間を、また人間が世界を操ろうとしたことが最大の過ち。作曲家の手を離れれば、音楽作品はかくの如く独り歩きする。
ピアノ五重奏曲(1940)は真の傑作だ。
戦時の弔いの歌なのか、慟哭の第1楽章前奏曲冒頭の、ピアノ独奏からあまりに重く切ない。息の合った4人の弦楽器奏者のうねりもさすがと言おう。続く第2楽章フーガ(アダージョ)のポリフォニックな哲学的響きと、ピアノ独奏部の透明感溢れる祈りの交差が素晴らしい。何という抒情!また、いかにもショスタコーヴィチ節炸裂の第3楽章スケルツォ(アレグレット)の推進力と溢れる喜び。さらには、第4楽章間奏曲の第1ヴァイオリンの奏でる旋律のロシア的情緒が美しく、静かにきらめく神秘的なピアノの音色が心に刺さる。それにしても結論たる終楽章アレグレットのあまりの美しさ。聴く者の魂に語り掛ける、ショスタコーヴィチの魂の感じられる静かで穏やかなコーダは圧巻。何という浄化!
アルゲリッチはショスタコーヴィチに隅から隅まで感応する。
願わくば、「24の前奏曲とフーガ」を聴いてみたい。