
「歌曲とは歌う心である。」
だから歌曲をきき、歌曲について書くとは歌曲をきく心の働きを述べることが大切だ。ほかに書くことはないといってもいい。その歌曲を書いた人についての知識をふりまわしたり、作曲をめぐるあれこれの状況、事情について多言を弄するのは、本当なら、余計なことなのだ。
「心から出たものなのだから、そのまま、心に通じるように」とベートーヴェンも言ったではないか。
けれども、その心に通じたものを、そのまま、書くのは、やさしいようで、とてもむずかしい。シューベルト、シューマン、ブラームス、ヴォルフ、シュトラウス、マーラー、ベルクたちの数少くない歌曲の中に生きている「心」を書くに至っては、限りなく不可能に近い。
~吉田秀和「永遠の故郷―夜」(集英社)P154-155
吉田秀和さんの、最晩年のこの言葉を読むにつけ、耳が痛い。僕などは、まさに余計な知識を振り回し、多言を弄し、記事を書き綴っているものだから。
何にせよ「心」を表現すること、文字にすることはとても難しい。
オランダ・フェスティヴァル50年のハイライト。
永遠に語り継がれるであろう歌手たちの、コンセルトヘボウほかでのリサイタルの記録。
シュヴァルツコップのリサイタルは、おそらくアンコールの諸曲だと思うのだが、観衆の歓呼がいちいち凄い。彼女の歌がどれほど人々の心を捉えることか、また、フーゴー・ヴォルフの歌の直接的な官能がいかに人々の魂を癒すか。殊に、アイヒェンドルフ歌曲集からの1曲の可憐さ、同時に聴衆の感動。
あるいは、クルイセンのドビュッシー「マラルメの詩」が人々に与える官能美。
出色は、ヴィシネフスカヤとヴァシャーリによるロシア歌曲リサイタル!!
そうして、ベルガンサによるスペイン歌曲のいろいろ。
すべてに「歌う心」に溢れる歌唱に、僕は思わず繰り返し聴いた。
人の心の美しさ。