ぼくはその後大学からミセス・キャンベルの故郷へ留学した。帰ってきたのは、アキと別れてから8年もたっていた。ぼくはすぐに手紙を出した。明日にも会いたいと書いたのだ。
返事はなかなか来なかった。来た手紙の差出人は見知らぬ人の名前だった。手紙にはアキが2年前に亡くなったこと、ぼくへの手紙が託されていることなどが書かれていた。
ぼくは呆然としてアキの手紙をひろげた。アキは細かい字で英語の時間の思い出、ミセス・キャンベルのこと、丘のすみれが見たかったことなどを書いたあとで、こう続けていた。
「私ね、父に死なれたり、病気になったり、運が悪かったけど、あなたに会えたことだけは運がよかったのよ。それ一つだけで幸せよ。いい方を奥さんにしてね。でも、私のこと忘れないで。すみれが咲いたら思い出して」
そして手紙のなかにいつかの押し花が入っていた。
「すみれ 三月」
~辻邦生/山本容子銅版画「花のレクイエム」(新潮社)P29-30
単純ながらこういう繊細かつ高貴な表現は、辻邦生独自のもの。いつどんなときも彼の文章には不思議な滋味が溢れていた。
地味、というより滋味。33歳の青年が生み出したものとはおよそ思えない。
類い稀なる才能としか言いようがない。
アントニン・ドヴォルザークの創作力は、若いときから格別だった。
その甘さに辟易するところがあったのか、それとも単に格好をつけていただけなのか、決して熱心な聴き手でなかった僕ですら、今や彼の生み出した音楽作品の美しさに惚れ惚れするくらい。
難しく考えない方が良い。
ただ、音の洪水に、否、音の小波に静かに身を任せれば良い。そこにあるのは浪漫だ、そして恍惚だ。
何より簡潔でわかりやすい。目的地が明確であると人は安心する。
目に見えない安寧が彼の音楽には隠されているのだと僕は思う。多くを語らず、ただひたすら耳を傾けること。
シュミット=イッセルシュテットの指揮は実に的を射る。フレーズの振幅やテンポのゆらぎ、すべてが理に適う。ひとつとして無駄な音符は感じられず、色彩豊かな単色の世界にゆったりと身を浸せるのである。終楽章アレグロ・ヴィヴァーチェのコーダで、第1楽章の主題の回想されるシーンが胸に刺さる。
ドヴォルザーク:
・弦楽セレナードホ長調作品22
・管楽セレナードニ短調作品44
ハンス・シュミット=イッセルシュテット指揮北ドイツ放送交響楽団(1963.12録音)
軽快かつ陽気な第1楽章モデラーロ・クアジ・マルチャに始まる管楽セレナードの喜び。古の形式を拝借しつつ、独自の民族的要素を織り交ぜた傑作。ここでのシュミット=イッセルシュテットは余裕で脱力の棒だ。
マリの話では、父親と早く死別し、小学校教師の母と暮らし、動乱が始まるとすぐ国外脱出を決め、1年近くあちこちを転々としたという。最後に国境を越える際の大混乱のなかで母と別れ別れになったのである。
「母はライラックが好きでした。ライラックが花の群れを、枝の先に咲かせているのを見ると、希望を忘れそうなとき、〈勇気を出して〉と呼びかけているような気がするって言ってました。思い出に、一枝とってもいいですか」
「ライラック 四月」
~同上書P35-36
希望を忘れそうなとき、ドヴォルザークの管楽セレナードを聴くが良い。
シュミット=イッセルシュテット指揮北ドイツ放送響の演奏は折り目正しく、しかし、自由で心地良い。