本棚の整理をしていて、高校生の頃読んでいた島崎藤村の詩集に目がいった。
「若菜集」を斜め読みして思ったこと。
詩を理解するには相応の感受性がものをいうのだろうが、ある程度の人生経験を踏まないと作者が本当に表現したかった真意というのは掴み切れないだろうなということ。例えば「東西南北」。
男ごころをたとふれば
つよくもくさをふくかぜか
もとよりかぜのみにしあれば
きのふは東けふは西
女ごころをたとふれば
かぜにふかるゝくさなれや
もとよりくさのみにしあれば
きのふは南けふは北
女は実に度胸が据わっている。雑草のように地中深くに根差す。一方男は風来坊。
やっぱり女が男を包み込む容認力、寛容性が大事ということかな。男女関係を長続きさせる秘訣はそこにあろう。
どうも今日はまる一日頭が真っ白。
昨晩も決して飲み過ぎたわけではないのだが、会食中に少々居眠りをしてしまった。
そういう日は毎度深夜に目が覚めてしまう。昨日も午前2:30。その後頭が冴えわたって結局午前5時くらいまで起きて部屋の整理をしていた。お蔭で随分捗ったが、その分日中の頭の回転が鈍い。ということで、考え事はやめて引き続き単純労働を。
当然洒落たBGMが必要になるので、音質はあまり良くないのだが、ニコラーエワが1983年4月にデンマークでコンサートを開いた際の実況録音を繰り返し2度ほど。プログラムはJ.S.バッハの「ゴルトベルク変奏曲」BWV988とアンコールに「主よ人の望みの喜びよ」。いや、素晴らしい。やっぱりニコラーエワの実演に触れられなかったのは痛恨事だと確認。
そしてたった今バックで流れているのはスークによるスメタナやドヴォルザークの作品集。深夜に聴くチェコ音楽のしみじみとした味わいが自ずと故郷への郷愁感を煽る。
スメタナ:「我が故郷から」~ヴァイオリンとピアノのための2つの小品
ドヴォルザーク:ヴァイオリンとピアノのためのソナティーナト長調作品100
ドヴォルザーク:ヴァイオリンとピアノのためのロマンティックな小品作品75
スーク:バラードニ短調作品3b
スーク:ヴァイオリンとピアノのための4つの小品作品17
ドヴォルザーク:スラヴ舞曲第2番ホ短調作品46
ヨゼフ・スーク(ヴァイオリン)
ヤン・パネンカ(ピアノ)
アルフレッド・ホレチェク(ピアノ)
深夜に小音量で聴くスークのヴァイオリンは素敵・・・。
こんにちは。
>島崎藤村の詩
>男は風来坊
>故郷への郷愁感
といった今回のキーワードをつなげると、
あの名高い歌を自然と口ずさみたくなります。
「椰子の実」
島崎藤村 作詩 田中寅二 作曲
名も知らぬ 遠き島より
流れ寄る 椰子の実一つ
故郷(ふるさと)の岸を 離れて
汝(なれ)はそも 波に幾月(いくつき)
旧(もと)の木は 生(お)いや茂れる
枝はなお 影をやなせる
われもまた 渚(なぎさ)を枕
孤身(ひとりみ)の 浮寝(うきね)の旅ぞ
実をとりて 胸にあつれば
新(あらた)なり 流離(りゅうり)の憂(うれい)
海の日の 沈むを見れば
激(たぎ)り落つ 異郷(いきょう)の涙
思いやる 八重(やえ)の汐々(しおじお)
いずれの日にか 国に帰らん
http://www.youtube.com/watch?v=zxT7q-AfJy8
歳を重ねた今聴くと、
なんだか感慨に耽ってしまいそうです(笑)。
>雅之様
こんばんは。
やっぱり藤村の詩が名作なんでしょうね。
>歳を重ねた今聴くと、
なんだか感慨に耽ってしまいそうです(笑)。
同感です。