ブリュノ・モンサンジョン監督グリゴリー・ソコロフ・ライヴ・イン・パリ(2002.11.4Live)を観て思ふ

1回きりの(夢のような)ドラマ。
あまりのピュアなエネルギーに、たった1度だけ触れることのできる映像(何度も繰り返して観るものではなかろう)。ぶつかりも、もちろん争いもない、女性性の力の支配の裡にあるまさに未来音楽劇場の如し。もちろんグリゴリー・ソコロフの演奏の凄さをあらためて知る貴重な記録だが、ブリュノ・モンサンジョンの見事なカメラ・ワークが、このコンサートを一層貴重なものに仕立てている。
ピアニストの横顔のアップ、そして、克明に捉えられた手許のアップ。マジックだ。

おそらく満員のパリはシャンゼリゼ劇場が、水を打ったように静まる様。
前半のベートーヴェンの諸ソナタが、何と瑞々しく、しかも異様な透明感をもって奏でられることか。およそあの巨躯から編み出されているとは信じられない繊細さ、そして美しさ。

作品14の2つの相対するソナタが、ホ長調は軽快かつ凛として(のちの「熱情」ソナタを髣髴とさせる音調、あるいは、「ワルトシュタイン」ソナタの木霊)、そして、間髪置かず続けて奏されるト長調は強靭なアタックをもって(特に第2楽章アンダンテ終結!)、まるでたった今作曲された作品であるかのように新鮮に響くのである。一つ一つの音が明確で、興に乗ったときの喜びの解放感が素晴らしい。

舞台上のピアニストだけに当てられるスポットライトが眩しい。これこそ集中力の演出か。何よりソコロフの敏捷な指の動きは、カルロス・クライバーの蝶舞う指揮姿と同様に、音楽そのものだ。

そして、前半のクライマックスである、ゆっくりと憩う「田園」ソナタの妙味。ほとんど天の声かと感じさせるもの。およそ人間が鳴らす音とは思えぬ光がここにはあるのだ。濁りのない音に観客は魅了され、中でも第2楽章アンダンテの表情の変化、音の移ろいにため息が洩れる。嗚呼。

ブリュノ・モンサンジョン監督グリゴリー・ソコロフ・ライヴ・イン・パリ(2002.11.4Live)
ベートーヴェン:
・ピアノ・ソナタ第9番ホ長調作品14-1(1797-99)
・ピアノ・ソナタ第10番ト長調作品14-2(1797-99)
・ピアノ・ソナタ第15番ニ長調作品28「田園」(1801)
コミタス・ヴァルダペット:ピアノのための6つの舞曲(1916)
・エランギ
・ウナビ
・マラーリ
・シュシキ
・エト・アラフ
・ショロール
プロコフィエフ:
・ピアノ・ソナタ第7番変ロ長調作品83(1939-42)
アンコール
ショパン:マズルカ第41番嬰ハ短調作品63-3(1846)
クープラン:ティク-トク-ショク(1722)
クープラン:修道女モニク(1722)
ショパン:マズルカ第49番
ヘ短調作品68-4(1849)
J.S.バッハ(アレクサンドル・ジロティ編曲):前奏曲ロ短調BWV855a

後半、アルメニアの司祭であるコミタス・ヴァルダペットの舞曲の東洋的な旋律に懐かしさを思う。しかもその静かで聖なる音楽は、(作曲家が)孤児で育った背景からか、言葉に表せない哀感を秘め、聴く者の心に迫るもの。何よりソコロフによる究極の孤独の表象!この厳かで繊細な音楽は人類の至宝。

ラストは、鉄壁のプロコフィエフ「戦争ソナタ」!!
強烈な打鍵と、ほとんどそれと対比するような脱力で軽やかな10本の指。激しさだけでなく情感豊かな、水も滴る潤いが押し寄せる。一切ぶれず、濁らない轟音と、一方、どこまでも静かであるのに芯のある極めつけの最弱音!第2楽章アンダンテ・カロローザの流れる旋律、また、最後、主題が回想されるシーンのあまりの寂寥感に感涙。さらに、意外にゆったりとしたテンポで堂々と開始される第3楽章プレチピタートの最後の壮絶さに、観衆は思わず興奮したことだろう。圧倒的な拍手喝采、歓声がそのことを物語る。

サービス精神旺盛なソコロフのアンコールは長い。
クープランのクラヴサン曲集第3巻第18組曲からの2曲の典雅さ!しかし、それ以上がショパン晩年のマズルカ2曲!!こんな演奏を聴かされたらもうほかにショパンは聴かずとも死ねると思えるくらい。嗚呼、哀しい。

ちなみに、演奏中のソコロフの表情は、まるでグレン・グールドのように陶酔的であり、また険しいものだ。実におそるべき集中力と官能が、モンサンジョンによって切り取られている。

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