ワルター指揮コロンビア響 ブラームス 交響曲全集(1959&60録音)

なぜなら、ある晩みんなが、それがピアノ室に置いてあるのを見て―両手を頭の上に打合せたり、前屈みになって膝の前で打合せたりして歓迎したその器械は、第一に光学応用の器械ではなくて、聴覚に訴える器械であったし、さらにその等級、品位、価値、いずれの点からみても、いままでの単純な玩具などとは全然くらべものにならないほどに立派なものであった。それはわずか3週間もたてばもう飽きあきして、さわってみる気もしなくなるような単純な子供だましの玩具ではなかった。それは明朗な、そして深遠な芸術的な楽しみがあふれるように湧きでる宝角であった。それは音楽の器械、蓄音機であった。
トーマス・マン/高橋義孝訳「魔の山(下)」(新潮文庫)P617

蓄音機といえど、我々が想像する質素なものでなく、立派な代物であることをマンはこの後丁寧に、そして詳細に注釈を加えているが、当時の愛好家にとって「音楽を聴く器械」がどれほど重要な、また垂涎のものであったか。レコードによって再生される高踏芸術が、どれほど愛好家の耳を肥やし、心を癒してくれたことか。
「魔の山」を愛読していたワルターが、この描写を知っていただろうことは当然で、まるでそのことを暗に示すかのようにエーリカに快癒祈願の手紙を送っていることが興味深い。しかも、レコードになったばかりの新しい「ブラームス全集」を贈っているのだから。

ところでね、きみの病苦の部屋にレコードプレーヤーを置いてもらえるとすれば、いかがなものでしょうか―ぼくのブラームス・アルバムには、4曲の全交響曲と「ハイドン変奏曲」と序曲集が入れてありますが、もう貴宅に届きましたかしら(ロッテの手になる写真や伝記資料をも含む)、この試練の時にあたって、ささやかながら道徳的な助けになろうかと思います。アルバムが未着ならば、近日中に届くはずです。たびたび便りを書いてきみを楽しませたいと存ずるのも、こうしていくぶんなりと病気の雰囲気からそらしてあげようと期待するからです。
(1960年10月15日付、エーリカ・マン宛)
ロッテ・ワルター・リント編/土田修代訳「ブルーノ・ワルターの手紙」(白水社)P360

ワルターの慈愛がこもる手紙だ。

ブラームス:
・交響曲第1番ハ短調作品68(1959.11.25, 28 &30録音)
・大学祝典序曲ハ短調作品80(1960.1.16録音)
・交響曲第2番ニ長調作品73(1960.1.11,14 &16録音)
・交響曲第3番ヘ長調作品90(1960.1.27 &30録音)
・ハイドンの主題による変奏曲変ロ長調作品56a(1960.1.18&27録音)
・交響曲第4番ホ短調作品98(1959.2.2, 4, 6, 9, 12 &14録音)
ブルーノ・ワルター指揮コロンビア交響楽団

第4番ホ短調作品98はいわずもがな、空前絶後の超名演奏。これだけの日数をかけて録音されたことを改めて知るにつけ、ワルターのこだわりと愛着が見事に花開くブラームスなのだと痛感する。ほかの交響曲も先のニューヨーク・フィルとの旧盤と比較するとオーケストラの弱さがかつては気になったが、今は印象が違う。むしろ最晩年の孤高の境地、老練の純粋無垢な心を見通しの良い音響の中で奏でられた傑作のように思われ、好事家ならば新旧両盤をあわせて所有すべきものだと自認する。

それにしても名曲第2番ニ長調作品73はワルターの十八番であり、ここでも極めて自然体の、柔和な音楽が奏でられる。特に終楽章アレグロ・コン・スピーリトの興奮たるや、指揮者の年齢を忘れてしまうほど内側は熱い。また、第3番ヘ長調作品90第1楽章アレグロ・コン・ブリオ冒頭の咆哮の厳しさよ。

果たしてエーリカはこのレコードによって慰められたのかどうなのか。彼女がどんな返事をしたのか興味深いところだ。

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