ラサール弦楽四重奏団のベートーヴェン作品127&作品131を聴いて思ふ

beethoven_lasalle_quartet031前作から10年の時を経て弦楽四重奏の世界に戻ったベートーヴェンは50歳を超えていた。
ちょうど今の僕の年齢の時に書き始められた作品127を聴くたびに、それまでのものとは明らかに一線を画す、その清澄で崇高な世界に一層の感動を覚え、今の僕には到底及びもつかない精神的高みにベートーヴェンがいたのだということを実感する。

お前が健康を回復したと聞いて嬉しく思う。私はと言えば、眼はまだ完全によくなっていないし、調子の悪い胃とひどい腸カタルのままこの地に来ている
(1822年8月19日付、弟ヨハン宛)
平野昭著「作曲家◎人と作品シリーズ ベートーヴェン」(音楽之友社)P180

身体的にもかなり疲弊していたこの頃のベートーヴェンの音楽の「抜けた諸相」はある種諦念から来るものなのかもしれない。そもそもここで変ホ長調という調性が選ばれたこと自体興味深い。何よりハ短調とあわせベートーヴェンの宿命の調性ゆえ。特に第2楽章アダージョ・マ・ノン・トロッポ・エ・モルト・カンタービレの変奏曲はベートーヴェンの真骨頂。深淵から覗き込むような不気味な冒頭から一気に高揚する革新的主題に頭を垂れる。第1変奏から実に充実した響き。また、第2変奏の躍動。そして、第3変奏及び第4変奏アダージョのあまりの美しさ・・・。

ベートーヴェン:
・弦楽四重奏曲第12番変ホ長調作品127(1976.6.11-14録音)
・弦楽四重奏曲第14番嬰ハ短調作品131(1977.3.8-11録音)
ラサール弦楽四重奏団
ウォルター・レヴィン(第1ヴァイオリン)
ヘンリー・メイヤー(第2ヴァイオリン)
ピーター・カムニッツァー(ヴィオラ)
ジャック・カースティン(チェロ)

どこか客観的で冷徹な印象のラサール弦楽四重奏団のここでの演奏は極めて温かい。
何と主観的な表現。音楽の全編がベートーヴェンへの尊敬と愛に溢れるのである。
また、第3楽章スケルツァンド・ヴィヴァーチェにおけるトリオの自由さにいかにこの時のベートーヴェンが解放を求めていたかを思う。さらには、終楽章の溌剌としていながら深みのあるまさに後期を代表する音楽に作曲家の天才を垣間見る。

ちなみに、ちょうど同時期、ゲーテはかくの如くの詩を生み出していたようだ。

われわれにはいろいろ理解できないことがある、
生き続けて行け、きっとわかって来るだろう。
高橋健二訳「ゲーテ詩集」(新潮文庫)P239

世代は違えどこの2人の天才はやっぱりつながっていた。おそらくゲーテの心底はベートーヴェンと同じだったのかも。

最晩年の作品131の筆舌に尽くし難い美しさ・・・。
ここには最晩年のベートーヴェンの森羅万象への信仰が刻印され、連続して奏される7つの楽章にもはや現世には思い残すことなど何もないと思われるほどの脱力が感じられる。この音楽はどんな四重奏団が演奏しようと基本的は神懸かり的幸福感に満ちる。
中でもラサールの演奏は静けさに溢れ、圧倒的に美しい。

 

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