カラヤン指揮ベルリン・フィル ショスタコーヴィチ 交響曲第10番(1981.2録音)

「最期の一瞬、断末魔の苦しみが父を襲いました。父は左手を挙げ、突然目を開き、数秒間、周囲を見回しました。それは、恐ろしい目、狂った目、怒っている目、死を恐れている目、知らない医師の顔を恐れた目・・・そんな目でした。次の瞬間、魂は最後の踏ん張りで父の体から飛び出していきました。私も自分の息が止まる思いで側の女医の腕に夢中ですがりついていたのでした」(スベトラーナ著『友人への20通の手紙』)
53年3月5日午後9時50分。独裁者は遂にこの世を去った。公称73歳(戸籍上は74歳)だった。寒い晩だった。3月初めとはいえ別荘は氷点下10度の冷気に包まれていた。全員が遺体を囲んで石のように立ち尽くしていた静寂の中を、ベリヤだけは「喜びを隠し切れない様子で」(同)大声を張り上げ表に飛び出していこうとしていた。
「フリスタリョフ、車を!」

斎藤勉著「スターリン秘録」(産経新聞社)P357-358

喜んだのは実際内相ラブレンティ・ベリヤだけではないだろう。独裁者スターリンの死は、世界に一条の光をもたらすのではないかと思った人は多かったのでは?
いわゆる「雪解け」のはじまりである。

ショスタコーヴィチは、コマーロヴォにあるダーチャのベランダで交響曲を作曲していた。彼は友人たちに、あるおもしろい出来事について語った。ある日、一羽のスズメが窓から飛び込んできた。それを皆が大騒ぎをしながらシーッと言って追い払おうとしているあいだに、脅えた鳥はショスタコーヴィチの交響曲の楽譜の上に用を足してしまった、というのである。グリークマンの家族は、それを交響曲の今後の成功の前触れであると考えた。作曲家は、別の文通相手にこうコメントした。「スズメが作品を糞で汚してしまっても・・・たいしたことではありません。スズメのことよりも、重要人物にされたことのほうがよっぽど大変です」。
ローレル・E・ファーイ著 藤岡啓介/佐々木千恵訳「ショスタコーヴィチある生涯」(アルファベータ)P243-244

「運がつく」という日本語の洒落ではないだろうに、確かにこの交響曲は作曲家に成功をもたらすのだから興味深いエピソードだ。独裁者への恐怖からついに逃れ、私的な内容に貫かれる交響曲は、巨大でありながら内省的で(?)、しかしそれまでの作品同様轟音と静音の対比が見事だ。

彼女の名前エリミーラを、E-A-E-D-A音に置き換えたというのである。第3楽章で12回フレンチホルンにより演奏される、印象的な主題句であるその五音を、どのようにして引き出したか、彼女に事細かに説明した。また、その第3楽章においてその五音は、ショスタコーヴィチ自身の個人的な暗号と掛け合うような形で現れる。
~同上書P244

エリミーラ・ナジーロヴァの後年の回想がまた面白い。彼女はショスタコーヴィチが自分に夢中になっていたとしても、それはご都合主義的なものだったと言うのである。
何にせよ、ひと夏の恋の芽生えは突如頭をもたげ、また突然去っていくものなのだ。

・ショスタコーヴィチ:交響曲第10番ホ短調作品93
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1981.2録音)

ほとんどプライヴェートの熱烈なラヴレターの如くの作品をカラヤンは2度録音している。
第1楽章モデラートから終楽章アンダンテ—アレグロまで息つく間もないほどの音の洪水でありながら、平静な心で落ち着いて囁かれるような「静けさ」とバランスに心を奪われる。嗚呼、何という美しさ!(作曲者がカラヤンの実演を聴いて感激したのも頷ける)

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