もはや演奏の質を云々する気にもなれぬ珍演奏、否、迷演奏。よくぞこんなものを正規にリリースしたものだと思うが、大家と大家がぶつかる歴史的記録としてはこれ以上の資料的価値を見出せるものはなかなかないので良しとしよう。そういう視点で見れば、一世一代の大演奏だ。
一体何が起こっているのか?
どうしてこんなことになったのか?
初めて聴いたとき、僕は思わず吹いてしまった。
指揮者のクナッパーツブッシュと独奏ピアノのバックハウスの見解の相違が原因であることは明らかだ。しかも、本番までどちらも譲ろうとしない頑固さゆえか、あるいは、練習嫌いのクナッパーツブッシュにあってほとんどぶっつけ本番であっただろうからか、冒頭カデンツァのところから、まったく入りが合わず、というより、指揮者は意地悪をしてわざと外しているようにもとれるのである。
一聴わかることは、少なくとも両者の呼吸がまったく合っていないということ。とにかく先へ先へと急ごうとするバックハウスに対し、悠然とした構えで遅々と進もうとしないクナッパーツブッシュの意志。それでも彼らは幾度も協演し、ときに名演奏を残すのだからその意味では本物だ(音楽創造にいかに即興性が重要であるかを教えてくれるパフォーマンスでもある)。
とはいえ、第2楽章アダージョ・ウン・ポコ・モッソのもつ濃密な恋心にも似た表情は、二人の巨匠がわずかな時間であれ心を一つとする瞬間をとらえている。何と美しい音楽であることか。
バックハウスにとっては決して公開されたくない、実に不本意な記録であろう。
しかし、僕はクナッパーツブッシュの、物怖じしない、堂々たる風情のベートーヴェンが好きだ。
一方、シンフォニーの演奏となるとクナッパーツブッシュの独壇場!
巨大な交響曲ヘ長調第1楽章アレグロ・ヴィヴァーチェ・エ・コン・ブリオは、冒頭からもの凄い音圧で聴く者をなぎ倒す。また、牛歩の第2楽章アレグレット・スケルツァンドに卒倒するも、いつの間にかその解釈に納得させられる。第3楽章テンポ・ディ・メヌエットも大らかで圧倒的な音塊を作し、猛打のティンパニの轟きが効果的。さらに、極めつけは終楽章アレグロ・ヴィヴァーチェの強力なパワーとエネルギー。相変わらず遅いテンポながら、鈍重な感はなく、音楽は実に自然に流れる。これぞベートーヴェンの神髄であろう。
1969年7月5日、ヴィルヘルム・バックハウス死す。享年85。1週間前まで舞台に立っていた老巨匠は、まさに生涯現役の大ピアニストであった。
50年目の命日に。
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