ウルバンスキ指揮東京交響楽団第668回定期演奏会

夕暮れになると、わたしたちはみな監房へ入れられて、朝までとじこめておかれる。わたしはいつも内庭から監房へもどるのが重い気持だった。それは細長い、天井の低い、息苦しい部屋で、脂蝋燭がぼんやりともっていて、重い、息のつまりそうな臭気がよどんでいた。どうしてあんな部屋に十年も暮せたか、いま考えてみるとどうしてもわからない。わたしの寝床は板を三枚並べただけのもので、それがわたしの場所のすべてだった。わたしの監房だけでそうした板寝床に三十人の囚人がおしこめられていた。
ドストエフスキー/工藤精一郎訳「死の家の記録」(新潮文庫)P17

酷寒の大地。
長い、ツァーリによる支配、あるいは貴族、地主からの虐げと搾取に耐え続けた歴史。ある側面から見た時、もはや死に体の彼の国の、恐怖の抑圧から解放されるため、彼の魂は、それを書かざるを得なかったのだろうと思った。あらゆる、否、すべてのカルマを背負った巨人がついに自らを葬り去るときが来た。ドストエフスキーも、ショスタコーヴィチも。

よくぞこんなものを拵えたものだ。
毎度、実演に触れるたびに僕は思う。
第1楽章アレグロ・ポコ・モデラート冒頭から強烈な光と熱を発する。ウルバンスキの、あまりにストレートな攻めと紡ぎ出される強靭な音塊に、僕は幾度も金縛りに遭った。轟然と鳴り響く絶頂の音はピンと張りつめ、緊張の極み。また、東響のアンサンブルは、どれほど複雑な絡みも気持ち良いほどの息の合い方。音楽は悠然と、そして、繊細にカルマ解放のドラマを見事に描き出す。爆音が何と心地良いことか。各奏者のソロが、会場を何て美しく染めることか。
抑圧の歴史あってこそ生まれ得た大傑作。何より終楽章ラルゴ—アレグロの猛烈な、高尚な、これ以上ないと思われる音楽の生々しさに僕はあらためて降参する。コーダ直前の大音量のうねりに興奮し、終結の葬送のあまりの静けさと神秘に、僕は息を凝らして酔った。

クシシュトフ・ウルバンスキは1982年の生まれだという。そのとき、すでにショスタコーヴィチはあの世の人。彼が10歳になる前にソヴィエト連邦も崩壊しているというのに。にもかかわらず、作曲家が憑依したような血沸き肉躍るこの演奏、この表現は、見事にショスタコーヴィチ芸術の的を射る。恐るべし。

東京交響楽団第668回定期演奏会
2019年3月25日(月)19時開演
サントリーホール
ヴェロニカ・エーベルレ(ヴァイオリン)
グレブ・ニキティン(コンサートマスター)
クシシュトフ・ウルバンスキ指揮東京交響楽団
・モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第5番イ長調K.219「トルコ風」
~アンコール
・プロコフィエフ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタニ長調作品115第2楽章から
休憩
・ショスタコーヴィチ:交響曲第4番ハ短調作品43

ショスタコーヴィチのあまりの素晴らしさについ前半のモーツァルトの記憶がかき消されてしまった感もあるが、ウルバンスキにあっては、古典派の作品もお手のもののよう。一切の虚飾を排した脱力のモーツァルト。心底可憐。そこには喜びしかない。何よりエーベルレのストラディヴァリウス「ドラゴネッティ」の実に芯のある美しい音色。そして、独奏を引き立たせるべく、オーケストラを見事にコントロールし、音楽を決して薄味にしないウルバンスキの伴奏指揮の技量。どこをどう切り取っても、いかにもモーツァルトという美しい音楽が鳴っていた。
ちなみに、エーベルレによるアンコールのプロコフィエフは、無伴奏ソナタ第2楽章の変奏から一部を取り出してのもので、音に心がこもっており、こちらも俄然素晴らしかった。可能なら全曲聴きたかったところ。

それにしてもいまだ興奮冷めやらず。
ショスタコーヴィチ万歳!
交響曲第4番万歳!
ウルバンスキ万歳!

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