バックハウスが最後の演奏会のアンコールで弾いたシューベルト晩年の即興曲に、少年時代の僕は痺れた。技術的には心許ない演奏ながら枯淡の境地を示す、いわば白鳥の歌の素晴らしさに感化された。
人の命は儚い。
31歳で命を終えたフランツ・シューベルトも、また85歳で逝ったヴィルヘルム・バックハウスも、その最晩年に向かった音楽の質はまるで同じだったのではなかろうか。そんなことを(69歳で亡くなった)アルトゥール・シュナーベルの澄んだ最晩年の演奏を聴いて思った。
シューベルト:4つの即興曲作品142 D935(1827)
・第1番ヘ短調
・第2番変イ長調
・第3番変ロ長調
・第4番ヘ短調
アルトゥール・シュナーベル(ピアノ)(1950録音)
旧い録音から立ち昇る、あまりに感傷的な、否、観照的なシューベルトの生きる希望よ。
なにゆえに落つる涙ぞ?
涙ゆえわが眼は曇る。
こはまこと旧き涙、
わが眼の底にいと永く留まりし涙。
「何ゆえに落つる涙ぞ」
~片山敏彦訳「ハイネ詩集」(新潮文庫)P64-65
音楽はおそらく言葉を超える。
ピアニストが独自の視点で奏した音楽は真理そのものだ。ましてシュナーベルなど巨匠が奏したものとなればなおさら。何という表現力か。
70余年を経ても決して廃れない普遍の原理がそこに横たわる。
すべてがあまりに美しい。