
最愛の姉さん!
ぼくたちの最愛の父の急逝の知らせが、ぼくにとってどんなに悲しいものだったか、容易にお察しいただけるでしょう—この喪失は、姉さんにもぼくにも、同じものなのですから。今のところヴィーンを去ることは(それはむしろ姉さんを抱擁する喜びのためにしたいことですが)とてもできませんし、お父さんの遺産については骨を折るほどのこともないでしょうから、正直のところ、競売に付するということで、姉さんとまったく同意見です。
(1787年6月2日付、モーツァルトから姉宛)
~柴田治三郎編訳「モーツァルトの手紙(下)」(岩波文庫)P127
今日はまる一日頭を使った。
心地よい疲れを伴うが、そんな夜には極めて軽い音楽を欲するのは当然のこと。
モーツァルト「リトル・ライト・ミュージック」なるアルバムが手もとにある。その劈頭を飾る作品は、晩年の「音楽の冗談」K.522だ。
音楽は実に軽快だが、作曲の背景にあるものは意外に重い。
思考や感情と。そこから生み出された音楽の乖離。それこそヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトだ。
さらに考えさせられるのは、この痛烈なパロディ作品が、父の死の直後に書かれたという事実である。モーツァルトの父レオポルトは、1787年5月28日に亡くなった。この作品が完成したのは、それからわずか2週間後のことである。レオポルトの死の以前からモーツァルトが作品に手を付けていたことは、使用された五線譜のすかし模様の研究からも確かめられている。しかし、モーツァルトがこの作品を完成させた日付は揺るぎもなく6月14日なのであるが、モーツァルトが父の死をきっかけにこの作品の仕上げに取り組み、短期間で完成させたと推測することは許されよう。
(永田美穂)
~UCCG-90635ライナーノーツ
なんにせよ経済的困窮に陥っていた彼がやらなければならなかったことは、パンのための仕事であっただろう。件のダンス音楽など、その最たる例。
モーツァルトという「幻想」を横に置き、彼がいつどんな状況で書いたかという事実も無視し、ただただ音楽に浸ろうではないか。
指揮者のいない室内オーケストラの、恣意のないモーツァルトは、個性を封印する。
だから面白くないと思う人もあろう。
もちろんこれはある種のバック・グラウンド・ミュージックだ。
邪魔にならない、「我(が)」のないモーツァルトが、疲れた脳みそにとても相応しい。
僕は幸せだ。
否、岡本太郎的にいうならば「歓喜」だ。
