イエスは悲しみを黒い空にむかってさけびたいと思う。もう母にふれることはできない。彼女の愛をうけとめることはできないのだ。ああ、神よ—そのような状態では、彼はもはや愛にあたいしないのだ。そしてこれ。これが・・・父の意志なのだ。「女よ、女よ、女よ」イエスは母につぶやきかける。彼はヨハネのほうへ頭をむける。「今では彼があなたの息子です」
イエスはヨハネにささやく、「そして彼女はあなたの母だ。彼女をつれていきなさい。彼女の世話をしなさい」
目をつむる。もっとも単純なことである生と死が彼を支配している。
ウォルター・ワンゲリン著/仲村明子訳「小説『聖書』(新約篇)」(徳間書店)P232
「母には子が、子には母が」
十字架上のキリストの最後の言葉。
3番目のこの言葉はヨハネの福音書によるもので、母マリヤと弟子のヨハネに言った言葉で、ヨハネにマリヤを支えることを依頼したものと解釈されるが、果たしていかに。
イエス・キリストは、ようやくこの時点で天とつながることができたのだろう。
ヨーゼフ・ハイドンの「十字架上のキリストの最後の7つの言葉」を聴いて思った。
ハイドンの音楽は、均整がとれ、徹頭徹尾、隙なく美しい。これこそ完全無欠の音楽の形。すべての楽章が緩徐楽章で書かれた、崇高なる、聖なる調べは、厳粛な近寄り難さを超え、むしろとても人間的だ。オリジナルの管弦楽版はもちろん素晴らしいが、翌年編まれた弦楽四重奏版は一層可憐で、哀感満ちる。
音楽をはじめて聴くものにも、深い感銘を与えずにおかない。
~作曲家別名曲解説ライブラリー26「ハイドン」(音楽之友社)P162
自信に溢れるハイドン自身の言葉が忘れ難い。
アマデウス四重奏団は39年にわたって完全同一メンバーで活動した稀有な四重奏団。互いが互いを知り尽くしたアンサンブルに非があろうはずがない。
ソナタ第3グラーヴェの、ウェットな響きと慈しみの念。アマデウス四重奏団の奏でる音楽は、何て調っていることだろう。ようやくつかんだ安寧とキリストの幸福感を、4つの弦楽器が和して発する様に感動を覚えずにいられない。
何をするにおいても信仰が鍵であるとここのところ思う。
少なくとも西洋古典音楽の巨匠たちは誰しも大いなるものとのつながりを持っていた。音楽は間違いなく信仰の賜物だ。