ラザレフ指揮日本フィルハーモニー交響楽団第710回東京定期演奏会

歓喜の、そして瑞々しい「カヴァレリア・ルスティカーナ」。言葉がない。
演奏会形式ながら実演に触れて初めて身に沁みるヴェリズモ・オペラの醍醐味。ピエトロ・マスカーニは、確かにこの歌劇一作で後世に名を残すべき十分価値のある、そして才能のある作曲家だと確信した。
一分の隙もない、一切の弛緩のない、そう、緊張の糸が途切れることのない70余分。それはアレクサンドル・ラザロフの指揮によるところが大きい。もちろん日本フィルの演奏の力量もある。しかし、それ以上にサントゥッツァはじめトゥリッドゥ、ルチア、ほかを演じた歌手陣(厚い合唱を含む)の感情移入を伴った見事な歌唱がすべてだ。感服した、心震えた、素晴らしかった。

復活祭のミサの日という特別な、聖なる日に起こる色恋と殺人という俗事の交錯する物語は、まさに当時の大衆受けするテクストだといえるが、作曲から100数十年を経た現代こそ、すなわち諸々乱れた俗世間の荒波の中で一人一人が聖なる悟りを得ることを求められる時代だからこそ、より一層僕たちの胸に刺さるのではないのだろうか。立体感を感じさせるステージ運びに思わず感応した。繊細な弦楽器の音色、奧妙な木管群の音に感極まった。

清水華澄のサントゥッツァの堂々たる歌と演技(?)が何より最高。
あるいは、ニコライ・イェロヒンによるトゥリッドゥも一点の曇りもない恐るべきパワーを秘めていた。もちろん富岡明子のローラも素晴らしかった。そして、オルガンを加えて奏される「間奏曲」のあまりの甘美さ、崇高さ。ここでも「死は祝祭である」と言わんばかりの官能が投影されていたように僕には感じられた。
終演後の、繰り返されるカーテンコールは、今夜のコンサートの凄まじさ、素晴らしさを物語っていた。本当に凄かった。

日本フィルハーモニー交響楽団
第710回東京定期演奏会
2019年5月17日(金)19時開演
サントリーホール
エフゲニー・スドビン(ピアノ)
ニコライ・イェロヒン(トゥリッドゥ、テノール)
清水華澄(サントゥッツァ、ソプラノ)
上江隼人(アルフィオ、バリトン)
富岡明子(ローラ、メゾソプラノ)
石井藍(ルチア、アルト)
田野倉雅秋(ゲスト・コンサートマスター)
菊地知也(ソロ・チェロ)
アレクサンドル・ラザレフ指揮日本フィルハーモニー交響楽団
・メトネル:ピアノ協奏曲第2番ハ短調作品50
~アンコール
・ドメニコ・スカルラッティ:ソナタロ短調Kk.197(L147/P124)
休憩
・マスカーニ:歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」(演奏会形式)

あまりの興奮に前半のニコライ・メトネルが霞んでしまった感があるが、不思議に晦渋さだけが前面に押し出されたピアノ協奏曲第2番は、靄がかかったような、隔靴掻痒の思い過る演奏であったように僕には思われた。それは、今宵の聴衆側の集中力にも問題があったからか。ただし、ピアノと管弦楽のバランスは抜群で、ヴィルトゥオーゾ的名作がロシア的(がなり立て?)轟音で鳴り響かせられるのでなく、あくまで繊細さを失わない、ピアニズムの極致として表現されていた。スドビンのピアノはひたすら歌い、音楽が縦横に飛び跳ねる瞬間多々。特にカデンツァのパートは、ここぞとばかりの聴きどころで、ピアニストのメトネルへの思いが十分にこもり、強調されたひと時だったように思う。

アンコールは、ドメニコ・スカルラッティのソナタ。ロ短調Kk.197は、弾かれることの少ない作品だが、ロマンティックな、いかにもスカルラッティの斬新さをピアノで語り切った逸品。ロシア的憂愁漂わせる演奏だったので、よもやスカルラッティだとは思わなかった(逆に言うなら、ドメニコ・スカルラッティの懐の深さをあらためて感じさせられたということ)。

感動の余韻冷めやらぬ。

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