タッキーノ プレートル指揮パリ音楽院管 プーランク ピアノ協奏曲(1966.6録音)ほかを聴いて思ふ

あらゆる地域の音、あらゆる時代の音、時空を超えていとも容易く音を紡ぎ、作品を創出する力量。しかも、そのどれもが傑作なのである。天才だ。
今年は生誕120年の記念年。
久しぶりにフランシス・プーランク。
何処かで聴いたことのある旋律が頻出する、歌謡調の懐かしい音楽。ピアノ協奏曲第1楽章アレグレット。あるいは、メンデルスゾーンやフォスターなどがそこかしこに巧みに引用される第3楽章ロンドー・ア・ラ・フランセーズ。と思えば、革新的な方法を用い、聴く者に驚きを与える2台のピアノのための協奏曲第2楽章ラルゲットの静謐。極めつけはワンダ・ランドフスカの委嘱により生み出されたクラヴサン協奏曲「田園のコンセール」第1楽章アレグロ・モルトでの、モーツァルト(アイネ・クライネ・ナハトムジーク)の木霊。一切の外連味のない、自身の個性として昇華されたあくまでフランシス・プーランクの音楽は、どこをどう切り取っても粋で、また美しく、刺激的だ。

プーランク:
・ピアノと管弦楽のための協奏曲嬰ハ短調FP146(1949)
ガブリエル・タッキーノ(ピアノ)
ジョルジュ・プレートル指揮パリ音楽院管弦楽団(1966.6.16&17録音)
・2台のピアノと管弦楽のための協奏曲ニ短調PF61(1932)
フランシス・プーランク(ピアノ)
ジャック・フェヴリエ(ピアノ)
ピエール・デルヴォー指揮パリ音楽院管弦楽団(1957.5.22&23録音)
・クラヴサンと管弦楽のための協奏曲ニ長調FP49「田園のコンセール」(1927-28)
エメ・ヴァン・ド・ヴィール(クラヴサン)
ピエール・デルヴォー指揮パリ音楽院管弦楽団(1957.5.13-21録音)
・フランス組曲FP80(1935)
ジョルジュ・プレートル指揮パリ管弦楽団(1968.2.2&5録音)
・パストゥレルFP45(合作バレエ音楽「ジャンヌの扇」より)(1927)
ジョルジュ・プレートル指揮フィルハーモニア管弦楽団(1980.11.24&25録音)

あまりに堪え難い時期を何度もくぐり抜けて来たぼくにとって、死は、何か甘美なもののように思えていた。そこからぼくは死を恐れず、死を凝っと正面に見据える習慣を身につけた。
ポール・エリュアールは、ぼくが、埃となって崩れながら朽ち果てて死んでゆく「優麗男爵」の役を演じて死に挑んでいるのを見て慄然たる心地を味わったと述懐して、ぼくを驚かせた。ぼくにとっては、死ぬことより生きることのほうがぼくを当惑させるのだ。ぼくはガロスやジャン・ル・ロワやレイモン・ラディゲやジャン・デボルドの死には立ち会わなかった。ぼくの母とかジャン・ド・ポリニャック、ジャン・ジロドゥー、エドゥアール・ブゥルデなどが、その最期の時にぼくがかかわりを持った死者たちだ。

「死について」
ジャン・コクトー/秋山和夫訳「ぼく自身あるいは困難な存在」(筑摩書房)P104

なるほど、プーランクの音楽に通底するのは、いわば「死の祝祭」だ。
モーツァルト同様、明るさの内側に潜む苦悩の色。否、苦しみこそをいかにも楽しもうと躍動する心の表現とでも言うのか、澄み切った、そして悟性が突出する音楽には不思議な退廃と官能が(どの瞬間にも)ある。
プーランクの音楽には何と夢があることか。

夢は、私たちを平凡な日常をこえたところにはこんでくれる。夢は、私たちの未来を可能性で満たしてくれる。愛する人とともに夢をみることで、将来に対する期待が生まれてくる。
成功を手にしたい、子供がほしい、旅行にいきたい、経済的な安定がほしい、平和であってほしい、喜びを味わいたい・・・。
ただし、夢に執着しすぎてはいけない。夢が実現しなかったとき、人生を信じられなくなってしまう。

レオ・バスカリア/草柳大蔵訳「愛するということ、愛されるということ」(三笠書房)P199

現れてはすぐに消える音楽こそ、執着のない夢そのものだ。大いに夢を見よう。
ちなみに、洒落た、センス満点の音楽は、ジョルジュ・プレートルの音楽作りの才能に拠るところも大きいだろう。彼の生み出す音楽にもいつも夢がある。

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