クナッパーツブッシュ指揮ウィーン・フィル ワーグナー「ワルキューレ」第1幕(1957.10録音)を聴いて思ふ

まったく一分の隙もない。
香気滴る馥郁たる音響はオーケストラに内在する歴史的自負から発せられたものなのかどうなのか。また、確信に満ちる音楽の再現はハンス・クナッパーツブッシュの堂々たる棒のなせる業。しかし何より、リヒャルト・ワーグナーの、いかにも人間らしい側面が克明に銘記された芸術の勝利だといえる。

実に魅力的だ。まさに毒。バイエルン国王がはまってしまったのにも頷ける。

幼少時からヴァーグナーに特別な憧れを抱いていたルートヴィヒ2世は、《指環》の完成のために3万フロリンを提供するほか、ヴァーグナーの全ての借金の返済、そして8000フロリンの年俸を申し出た。経済的困窮にあったヴァーグナーにとって、願ってもない話である。彼はこの返礼として、《妖精》《恋愛禁制》《リエンツィ》《マイスタージンガー》《ラインの黄金》《ヴァルキューレ》の手稿譜、さらに《ジークフリート》と《神々の黄昏》の草稿や《パルジファル》の第1散文台本などを国王に献呈した。
井形ちづる訳「ヴァーグナー オペラ・楽劇全作品対訳集2―《妖精》から《パルジファル》まで―」(水曜社)P7

しかしそれは、誰が何と言おうとワーグナーの人類史上稀な、特別な才能に因るものであることに違いない。未来を見通す眼力と時間と空間の全体把握力とでもいうのか、彼に少々人間的問題があったのだとしても、そんなものを吹っ飛ばすだけの「強力な芸術的・哲学的個性」が備わっていたことに後世の僕たちは感謝せねばならない。

音楽については言うまでもなく、その物語をすべて自身が書き下ろしているところが驚異。中でも構想から完成まで数十年を要した「ニーベルンクの指環」!!

・ワーグナー:楽劇「ワルキューレ」第1幕
セット・スヴァンホルム(ジークムント、テノール)
キルステン・フラグスタート(ジークリンデ、ソプラノ)
アーノルド・ファン・ミル(フンディング、バス)
ハンス・クナッパーツブッシュ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1957.10.28-30録音)

ジークリンデに恋をしたことに気づくジークムントの独白の、スヴァンホルムの悲哀と憧憬入り混じる歌唱が素晴らしい。しかし、それ以上に、母性豊かなジークリンデを高貴に歌うキルステン・フラグスタートの歌の魔法。

かつて私が嘗めた辛酸の全て、恥辱と侮辱の中で
私を苦しめたもの全てが、
どうか最も甘い復習によって宥められますように!
私が失ったものが再び得られますように、
失って涙したものが、また私のものになりますように、
その神聖なる友を見出せますように、
その英雄をこの腕に抱けますように!
~同上書P65

続く、セット・スヴァンホルム扮するジークムントの「冬の嵐が去り」での、明朗な、また雄渾でありながら優しさ溢れる歌に僕は感動を覚える。

かつて2人を隔てていたものは全て打ち砕かれ、
若い2人は歓呼の声をあげて挨拶を交わす。
愛と春が1つに結びあったのだ!
~同上書P66

このやりとりが、夫フンディングが睡眠薬によって眠らされている最中の出来事であることの背徳。ワーグナー芸術の業の深さの極致。愛と死とはやはり同義なのだろう。
隅から隅までクナッパーツブッシュの思念行き届く、呼吸の深さでは人後に落ちない、人類の至宝。

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